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いろいろ空想してそれを文字にしています。haiku、10行の話、空想レシピなど。
by 空想家sio


空想の森を箒と杖を持って歩こう。


はじめまして、空想家のsioです。
ここはただただ、sioが空想したものを
ご紹介する小さな部屋(blog)です。


空想の森を箒と杖を持って歩こう。_b0312706_14094222.jpg
           ここがsioの空想部屋。ハリーポッターの階段下の部屋より狭い!

ご挨拶をかねて、目次(カテゴリ)のご紹介から。

haiku兎穴(紳士と共に)
  黒いマントを着てシルクハットをかぶった金色の髭を持つ紳士が
  森の奥に掘った小さくて深い穴。通称兎穴(うさぎあな)
  そこでは17頭(文字)の木馬や17粒の光る石やらが
  くるくると回りながら、ひとつの世界を作っています。
  不思議なhaikuを紳士とともに。

10行DE話(あなたの隣に)
  たった10行の小さなオハナシ。
  町、地下鉄、書店、台所。真夜中、あくび、猫のしっぽ。
  牛乳と卵しか入っていない冷蔵庫。
  あなた(或いはわたし)のものがたり。

空想ごはん(何がご馳走?)
  空想だからできるいろいろな人とのごはん。
  おさびし山に住むモランとDinnerの時は何食べる?
  大どろぼうホッテンプロッツと居酒屋に行ったら何を頼む?
  スプーンおばさんと一緒にちっちゃくなったらどうする?
  空想でご馳走します。

sioMAP(住んでいるひとや熊)
  sioのあたま(こころ?)のなかには
  たくさんのひと(或いはいろいろ)が住んでいます。
  まずはツキコという名前の女の子がふたり
  (ひとりは書店アルバイト、ひとりは元パン職人)
  空想ねずみ数匹、ふくろうのグラウコーピス
  ドーナツを作る猫の兄姉弟、古ストーブのブルース
  熊女、川という名前の元修道女。
  半分しか書かれていないオハナシと一緒にご紹介します。

鹿埜類(かのるい)詩集(吟遊詩人)
  今から25年前、たった17才からの10年の間だけ、
  たった4枚のalbumを出して、忽然と消えた、
  今でいう【男装女子シンガー】であった鹿埜類。
  彼女はジブンを【吟遊詩人】と称してたくさんの曲を残しました。
  (というオハナシをちょこちょこと書いています)
  ここでは鹿埜類(かのるい)の大ファンだったという男性が
  もう姿を見ることの出来ない鹿埜類のホームページを作り
  そこで彼女の残した歌詞を解説するという形で進みます。
  ホームページ名は【鹿埜類幻燈博覧館」管理人は鴉さん。

6隣の不良くんたち
  ある町に引っ越してきたワタシ(42才、夫持ち、子無し)
  わたしの住む部屋の向かいには有名な不良の巣窟、
  【○蘭高校】があった!という設定で始まる創作日記。
  ※無論、あの漫画が下敷きです。

活動報告
  sioは去年の暮れからオハナシを書いています。
  空想家として動いてみたいな、と思ったからです。
  童話の小さな賞に応募したり、してみました。
  今年はたくさんのオハナシを書くつもりです。
  そして、色々actionします。
 (ははっ、書いてしまえば有言実行だ!)
  その細々とした活動を密やかにご報告します。

 それでは、もしよろしかったら、
 空想家sioの小さなセカイをお楽しみくださいませ。

※相互リンクから、空想家sioの日常(Twitter)に飛べます。
sioの空想無き、地味暮らしを覗いてみてくださいませ。

 お好きなカテゴリからどうぞ!

  
  
  

# by houki666 | 2014-06-21 18:19 | 空想家sio(はじめまして)

隣の不良くんたち2

○月×日

朝、ゴミ捨てに行ったら
収集所の前で、
○蘭高校の
AくんとBくんが、
優雅に喫煙していた。

その学ランは黒びかりしており、
ふたりの特異なヘアスタイルは
まさに、一筋の乱れもなく、
赤と金の【とさか】として
ふたりの頭に君臨していた。


(思わず、おまえら80年代かよ、
横浜銀蠅かよ、なめ猫かよ、と
突っ込みたくなるヘアスタイルだ。

数あるヘアスタイルのなかで
なぜ、この【とさか】を
AくんとBくんが選択したのか知りたい)


わたしは太ったカラダを
すぼめるようにして
収集所の隅に
持っているごみ袋を置こうとした。

が、ふと気がついた。

ゴミ袋には、わたしの大好物
赤いきつねのカップが20も入っている。

(わたしは毎日、
赤いきつねを食べるのだ。
時にダブルで食べてしまうほど、
それが好物だ)

しまった、と冷や汗が出る。


実は、わたしは
ほぼ毎日、赤いきつねを
食べる自分を
何よりも恥じていて、

「このでぶおばさん、赤いきつね
好物なんだ、ジャンク好きなんだな、
だからそんなに太ってんだよ」

と、思われないように、

赤いきつねを入手するのに、
さんざん、苦労しているのだ。


午前中に、コンビニで
通信費を払うついで、
といった風情で
それをひとつ買い、

午後にドラックストアで
トイレットペーパーとラップと共に
それをふたつ買い、

2日に一度は、
大きなトートバックを持ち
急行電車が停まる駅にわざわざ行き
そこにあるスーパーで、
それをよっついつつ買う。


夫にさえ
「赤いきつね」を毎日、
食べていることを知られたくないので
その保管場所にも常に気をつけている。

ひとつは冷蔵庫の上の買い置きの
食器を洗うスポンジやらを入れている籠に

ふたつは食器戸棚の奥に

それ以外はクローゼットの棚に
それぞれ帽子を乗せて隠している。

(わたしは帽子持ちだ。
なぜか、好きで買ってしまう)


そして、夫がいない時、
それを食べている。

ずるずるとテレビを観ながら
無心ですすっている。

食べ終わり、いつも
ひどい鬱状態になる。

「また、赤いきつねを
食べてしまった」と落ち込む。

数時間、落ち込み、
痩せるため、夕食を抜き、

翌日、結局、
またそれを買いに行く。

その、繰り返し。


よく夫がわたしに言う。

「おまえ、あまりメシ喰わないのに
どうして、太ってんの?」
「クスリのせいだよ」
「もう心療内科、行ってないんだろ?
どこでクスリもらってんだよ」
「まだ、残っているから」
「ふうん(疑っている)」

夫は知っているのかもしれない。

クローゼットの帽子の下に
赤いきつねがあるのを。

それらをわたしが偏愛していることも。


わたしは、ぎくしゃくと腰を曲げ
AくんとBくんが吐き出す
煙草の煙を受けながら、
収集所の隅にゴミ袋を置いた。

カップとその赤い蓋が
半透明の袋の外側に張り付き、
おいらはここにいるぜ、と
隠したって無駄だぜ、と
自己主張しているのが分かる。

そそくさと遠ざかる。


不良AくんとBくんが
わたしのむっちりとした背中を見ながら、

「おい、見ろよ、あのおばさん
めちゃくちゃ、太ってないか?」
「うわ、見てみい、
おばさんが捨てたゴミ袋、
赤いきつねでいっぱいじゃん」
「うおっ、マジかよ!」

と言っているのが聞こえた。


・・・・・・いや、
それはわたしの妄想だった。


AくんとBくんは
わたしの存在に、露ほどの
関心も払わなかった。

彼らは5月の
ゴールデンウィーク明けの
ブルー・スカイ・ブルーな

(わたしは小学生のころ、
姉の影響で西城秀樹のファンであった)

青空を眺めながら、

朝の一服を
サイコウに寛いで、

(ほぼ瞑想状態で)

キメていたのであった。


彼らにとって、

わたしや、
わたしの捨てたごみなど

(ましてその中身がほぼ
赤いきつねであることなど)

彼らには、関心外、
いや、大気圏外のことだったのだ。


わたしはマンションの部屋に帰り、
隠していた赤いきつねに熱湯を注ぎ、

ベランダに出て、それを食べた。


○蘭高校では、早くも
朝練、ならぬ、
朝乱闘が始まっていた。

不良とはなんと律儀なことよ、
と思いながら、わたしもまた、
律儀に赤いきつねを食した。

殴り殴られる不良くんたちを見ながら、

(主に、鼻血を盛大に出しながら、
暴れているアフロ頭のCくんを見ながら)

「わたしの人生とは・・・・」と考えた。


AくんとBくんはとさか頭を選択した。
Cくんは朝から鼻血を出しながら暴れている。
わたしは赤いきつねを食べている。


それでもいいのかもしれない、
むしろ、それでいいんじゃね?

と、ふと思い、

ヒデキのあの頃の長い脚と
通りの良さそうな鼻の穴を思った。


ブルー・スカイ・ブルー
あれ、名曲だったなあ・・・・。



○月×日

毎朝、
マンションのごみ収集所の前で
煙草をお吸いになっている
赤と金のとさか、
AくんとBくんの名前が分かった。

ふたりが互いを
こう呼び合っていたからだ。

「ノグよお」
「なんだよ、シブ」

ノグ?シブ?

それ、名前?それとも名字?


わたしはとっさに
野口五郎と渋谷哲平を思った。

(なんせわたしはNHK日曜夕方6時の
レッツゴーヤングを欠かさず見ていた
おませな小学低学年だったからねえ。
42才にして、五郎も
DEEPな哲平を知っているのさ)

その日から、わたしは

赤とさかのAくんをゴロウと、

(ゴロウとは、もちろん
野口五郎からの連想だ。
秀樹ファンからは
短足と言われていた五郎ちゃん。
まじめで繊細で、乙女心を
心底、理解してくれそうな五郎ちゃん。
確かに半パンなどを履き、長い脚を
惜しげも無く見せ、ついでに脇毛も見せ
セクシャルーバイオレット№1なのは秀樹であったが
しかし、名曲【オレンジの雨】を
小さく腰を振りながら
歌う五郎ちゃんは幼いわたしにも
はっきりと分かるほどエロかった。
あの一瞬にして、上がる眉頭と
ふいにとろんとなる瞳のせいかしら?
あの頃の五郎ちゃん、
CGかなんかで戻ってこないかしら
時々そばに置いて苛めたいわ)

金とさかのBくんを
テッペイと呼ぶことにした。


そのせいか、わたしは
マンションのごみ収集所で
ふたりを見かけるたびに
【オレンジの雨】と【DEEP】を
脳内再生するはめになっている。

オレッンジィの雨のなかあ、
ふたりっならあ、

DEEP、青いウミ(海、海)
泳ぐきみのかっげえ

そのつど、
五郎が小さく腰をふり、
哲平が踊りまくる。

ああ、うるさいこと!



※この日記を書いた半年後に
ふたりの本名が発覚。

ノグは、野口旬
シブは渋沢ミツルだった。

現在、○蘭高校の最強の
グループ【稲庭うどん】に属するふたりだ。

って、グループ名が
【稲庭うどん】って、
あいつら、もしかして、
すごくクレヴァーで
COOLなのかもしれない。

遊びやせんと生まれけり、みたいな。

そんな感じ。



(3につづく)




※ もう空想家やめようかな。
だってあたしの書いているのって
暗いし、くだらないし、なんかオタクだし

と思って、しばらくここから
遠ざかっていたら

ある方がわたしにイイネをくださいました。

まじめに嬉しかったです。

ということで、くだらなくていいやと

(つまり赤いきつね食べてもいいや、と)

また時々書くことにしました。


この場を借りてお礼を言います。
ありがとうございます。

SIO








# by houki666 | 2014-05-08 10:17 | 隣の不良くんたち

檜葉ヨリコ➀

このお腹の贅肉をなんとかしたい

檜葉ヨリコは二人の子どもと
会社員の夫をそれぞれ送り出した後、
朝食代わりのチョコエクレアを食べながら
真剣に考えていた。

パートとして働いていた縫製工場を
体調不良の名目でずるずると休み始めてから
もう20日が過ぎていた。

上司からは、後どのくらいで体調が回復するか、
だいたいでいいからメドを示して欲しい
それによって、パートの人員を増やすか、
現状でやるか、を検討しなければならない

とメールが来ている。

後、どのくらいで体調が回復するか?

そんなことは檜葉ヨリコにも分からなかった。

仮病だからだ。



でも、確かにそろそろ、
何らかの連絡しなければならない。

檜葉ヨリコの家では
檜葉ヨリコの10万円に満たないパート代も
家計運営には欠かせないものだった。

このまま自分が無収入でいれば
だんだんと家計が苦しくなる。

子供たちの塾代も払えなくなるだろう。

檜葉ヨリコは口の端についたエクレアの中身である
黄色いカスタードクリームを指でぬぐった。

新しくパートを探すか?
できれば華やかなところで働きたい。

エステサロンとか、おしゃれなcafeとか。

若い男の子のバイトもいて、
楽しくお喋りできるようなところもいい。

ダイニングバーといった感じの
飲食店はどうだろうか?

檜葉ヨリコはしばらく妄想にふけった。

ダイニングバーの調理場で
経営者である自分と
同い年くらいの男性と親しく話し、
酒や料理を取りに来た大学生の店員に
にこやかに笑いかける自分を思った。

妄想のなかの檜葉ヨリコは
体重計に乗れば、48キロで、
体脂肪は20%代で今より5才若く見えた。

エクレアを食べ終え、檜葉ヨリコは妄想を終えた。

「わかっているって」

独り言が口をついて出た。

40才を過ぎている自分を
雇ってくれる華やかなシゴト場など
ほぼ無いだろう。

もしあったとしても
新しい仕事場で
新人として教えを乞いながら
一から覚えるのは抵抗があった。

檜葉ヨリコは工場ではベテランだった。
ミシンの腕は良く、その仕事ぶりは
周りからも、上司からも信頼されていた。

「やっぱり戻るか」

檜葉ヨリコはふたつめのエクレアに手を伸ばした。
食べながら、算段した。

工場に再び行くとしたら、
20日の間についた腹の贅肉を
なんとか少しでも減らしてからでしか行けない。
これでは元々ウエストがきつかった
パートの制服のスカートは入らないだろう。

檜葉ヨリコはため息をついた。


昨夜、体重計に乗って驚いた。
20日間で4キロも太っていた。

確かにこの20日間、家族にも
体調不良を宣言し、ほとんど動かずに過ごした。

朝起きて、朝食を作り、洗濯を終えると
横になり、好きな甘い菓子を食べ、
夕方になるまでベッドの上で過ごしていた。

(夕食は簡単な総菜を近くのスーパーで買い
それで済ましていた。家族は文句を言いながらも、
檜葉ヨリコの体調を気遣い、それを受け入れた。
工場の上司と同じように、ある一定の期間が過ぎたら
檜葉ヨリコの体調が回復すると思っているのだ)

昨夜風呂の脱衣場で
58キロという数字を目にし、

ほとんど動かなかったからといって
たった20日でヒトはこんなにも
太ることができるのだろうか?

檜葉ヨリコは体重計を疑い、
何度も何度もその上に乗った。

しかし、そのたびに体重計は
同じ数字を表示し、
ついでに体脂肪32%と表示した。

妄想のなかの自分とは
随分な開きがあった。


エクレアを食べ終わると
檜葉ヨリコはPCの電源を入れ、
毎日更新している自分のブログの
管理ページを開いた。

檜葉ヨリコはブログでは
「エクレア」と名乗っていた。

ブログのタイトルは

「毎日を輝やかせるために
本当の自分に出会いたい!
エクレアのブログ」

という。


エクレアは20日前、
小説家になる、と宣言し、

【今日は6枚書きました。
だんだんと展開が複雑になって
ちょっと難航していますが、
こんなことではめげません。
毎日を輝かせるためなら、
これも楽しいと思えます】

などと綴っていた。


しかし、檜葉ヨリコの中では
だんだんと「小説家」になるという熱も冷めてきた。

ただ、エクレアだけが妄想をやめない。


エクレアは小説を書くことよりも、

イケメンな編集者と打ち合わせをしたり、
新作発売のため、雑誌の取材を
豪華なホテルの部屋で受けたりという
華やかな場面ばかりを妄想し、

それを実現させようと檜葉ヨリコに
「道具」としての小説を書けという。


ある日、エクレアはブログに
名だたる文学賞の名を連ね、
どれに出そうか、迷っていますなどと
ノンシャランと書いた。

おそろしいほど傲慢な記事だった。


エクレアにとって、もはやブログは
無限に妄想を発信し続けられる
夢の小部屋のようになっていた。

ここに来れば、檜葉ヨリコは
エクレアとなり、なんでも実現可能な
キブンとなるのだ。

いわばブログは訪れれば
常に主演を張れる
檜葉ヨリコの劇場であった。


檜葉ヨリコ➀_b0312706_08505882.jpg









今日はまだ更新していなかった、と
檜葉ヨリコは記事を書き始めた。

さっきの妄想を書いた。

「アルバイトを探してみようと思います。
小説を書いているといっても、まだそれが
収入の道になるには時間がかかると思うので。
とりあえずは料理の腕を活かして働けるcafeか
ダイニングバーに問い合わせてみるつもり。
ランチタイムで働けるといいけれど、
でもまあ、夜に働くのもいいかな?
新しい経験は小説のためにも良いはず!」

記事をアップし、PCを閉じた。



ひどい疲れが全身を覆っている。

腹の贅肉は重く、見回すと
部屋は散らかっていた。

檜葉ヨリコはよろよろと立ち上がり、
台所へ、甘い菓子を探しに行った。


【fin】










# by houki666 | 2014-04-13 08:52 | 10行de話(あなたの隣に)

隣の不良くんたち 1

○蘭男子高等学校というのがある。

県下では最低偏差値、
しかも【不良(古い言葉だ)の巣窟】
ということで、一般人としては
できるだけ近づきたくないと願う高校だ。

(親としてもそこだけには
なんとしても入れたくない学校だと聞いた。

教師もそこに異動になることを極端に
怖れているという。)


その高校がある町内にわたしは住んでいる。

しかも、超近所。

スープの冷めない距離だ。

(間違っても奴らにスープは運ばないが。

もし運んでも、
スープが入っている鍋を蹴られる、

いや、もしかしたらスープの中に
頭を突っ込まれるかも・・・・・

「おまえ、誰じゃあ?
は?スープ?
おまえみたいなおばはんが
作ったスープなんて誰が飲めるか~っ!」

と、頭を押さえつけられ

自分の作ったスープのなかで
おぼれ死ぬ、そんな可能性もあるかも

うん、なきしもあらず)




昨年の秋、夫が転勤の辞令を受け、
夫とわたしは大急ぎで家を探した。

(転勤まで10日しか無かったのだ。
夫の勤める会社は名は有名だが
完全なるブラック企業だ。すごく忙しい。)

わたしは夫の新しい勤務先から
電車で30分ほどの、急行列車が止まらない
ある小さな駅に目をつけた。

(急行列車が止まらない駅、というだけで
家賃が格段に安くなる。各駅停車万歳だ!)

そしてその駅近くに住むことを安易に決定した。


しかも、夫婦揃って不精者のわたしたちは
ネットで物件を探すことにした。

転勤先は遠く、(新幹線で1時間半かかる)
とても足を運ぶ気になれなかったのだ。


数日後、築年数、階数、間取りの割に

(築年数7年、5階、角部屋。
リヴィング広く、オートロック。
南向きのベランダは広くお茶会ができるほど)

安い家賃のマンションを見つけた。


夫とわたしは嬉々として、そこと契約した。

(さすがに契約とあって、
転勤先の地に足を運んだが、
不動産屋と入居するマンションの部屋に
立ち寄っただけで周りの環境など
あまり調べなかった。

わたしたちには子どもはいないし、
家の中さえ快適ならどうでもいい、と
思っていたのだ)


が、引っ越してみて驚いた。


わたしたちが住むマンションの向かいに
その○蘭高校はあり、

(マンションの前は
通学路になっており、

マンションの駐車場は、
関係者以外立ち入り禁止という立て看板が
あるにもかかわらず、

生徒達の快適な喫煙所になっていた)


夫とわたしが契約したマンションの部屋の
お茶会もできるほど広いベランダからは

その学校の様子が良く見え、

(学校は4階立てだった。

校舎の屋上は社交場になっており
麻雀の卓が置かれ、時には
バーベキューセットが持ち込まれ
じゅうじゅうと肉が焼かれていた。

もちろん、乱闘もあり、
黒い学ランが血に染まっていく様子を
ありありと見ることもあった。

校庭も丸見えだった。

そこでもよく生徒達は闘っていた。

ある時なんか
バイクの軍団が校庭に乗りつけ

拡声器を使って、誰かの名前を叫んでいた。

S沢、出てこい!なんて・・・。

そのうるさかったこと!

さすがに誰かが通報したらしく
警察がウワンウワンとサイレン鳴らしてきた)


これらにより、このマンションの環境は
精神的にめちゃくちゃよろしくない、

と理解したからだ。





わたしは早速夫に報告した。

「あのさあ、あの向かいの男子校、
めちゃくちゃ悪いトコみたいだよ」

「ふうん」

夫はネクタイを外しながら気のない返事をした。

「あのね、今日なんか
新入生VS在校生で闘ってたよ

校庭で殴り合いだよ!

てっぺんとっちゃる、なんて
叫んでさあ、1時間目から
6時間目までずっと乱闘だよ。

桜舞うなか、ただただ殴り合いだよ」

「へえ、元気いいなあ」

「ちょっと!元気いいどころじゃないよ。
あそこは無法地帯だよ、治外法権!
特区だね、暴力特区!違う国!」

「ねえ、メシはまだ?」

「え?・・・ああ、ごめん」

わたしは慌てて、エプロンをつけ
鍋のなかの肉豆腐を温めた。

それとコロッケ。
キャベツ千切り。

皿に盛り、出す。

「なんか、貧しくね?」

夫は痩せている癖に大食らいだ。

(おまえはギャル曽根か?
ってくらいよく食べる)

「今日はさ、乱闘見るのに忙しくて。
買い物に出るのが遅れちゃって・・。
冷凍庫にこの間の餃子、あるよ。
それも焼く?」

夫はうなずき、箸を取った。
そして、ふふふ、と不適に笑った。

「なあ、おまえ、ここ数年で
一番調子良さそうじゃん」

「え?」

「きっとその乱闘を見るのがいいんだな。
刺激になってるんだよ。
まったく違う世界を毎日覗いてさ。
価値観の逆転っていうの?
そういうのが起こっているんじゃない?」

「そ、そんなことないよ」

「だってさ、クスリ飲んでない割に
毎日、メシ作って買い物にも行けてるじゃん」

「あ、・・そういえば」

引っ越してきてからは、
新しい病院を探すのが面倒くさく
心療内科には行っていなかった。

つまり毎晩飲んでいた睡眠薬も、

強烈に太ってしまう元になった
あのクスリも飲んでいなかった。

「ほらな」

夫はなぜか、勝ち誇ったように言い、
鉄鍋で焼いた熱々の餃子を頬張り、

「あちい」とむせた。





3年前、切迫流産をして以来

(それが3度目の流産だった)

わたしは、なんとなく
カラダの調子がすぐれなくて

働くことも無く、
友人と会うことも無く

ただただ家にひきこもっていた。


わたしは人生の目的を見失ってしまっていた。

わたしの30代後半は
子育てに費やされる筈だった。

そのため、20代はがむしゃらに働き、
出産費用やらマイホームのための資金を貯めた。

しかし、それらの資金は
不妊治療代としてそのほとんどが消え、

夫は、あまりのわたしの【熱意】に
だんだんとわたしが
希求する未来に対する興味を失っていた。

夫は転職をし、仕事に打ち込むようになった。

(それまでは好きな音楽をやるため
ふらふらと飲食業などを転々していたのに)


夫は排卵日の前後の性交を
馬鹿らしいと言うようになり、

いくら頼んでも
病院に行かなくなり、

(そこではアダルトDVDを観て
精子を取ることをした)

子どもがいない未来を

「かえって気楽だぜ
教育費も馬鹿にならないし。
不登校とか、いじめ問題とか
その他モロモロのこどもを育てるリスクを
まったく負わないっていうのも
賢い人生の選択かもよ」

と言うようになった。


わたしは取り残され、独り、鬱々と
「あるべきだった未来」を
諦めきれずに夢想した。

そして、時々、さめざめと泣いた。

心療内科に通い始め、クスリを飲み始めた。




その日からわたしは
マンションのベランダから見る
「○蘭高校」の様子を、
毎日日記に書くようになった。

(告白しよう。
夫の言うように、
確かにわたしは、
彼らの毎日を見るのが
楽しみになっていたのだ)

これはその日記を元に書いているものだ。


隣の(正確には向かいだが)
黒い学ランを着た不良君たちに

いつの間にか助けられていった

42才の誕生日を一昨日迎えたわたしの記録だ。


【裏録、○蘭高校】だ。

(2へ続く)























# by houki666 | 2014-04-03 11:14 | 隣の不良くんたち

鹿埜類詩集8【ひかり】

【ひかり】ラストアルバム【十字塔】より)

ぼくは修道士のきみと
ロシアの枯れた野を行く。

きみは滑稽なほど
髪を伸ばしていて、
誰もきみを修道士とは思わない。

農夫が聞く。

「かみさまはあんたを
おゆるしなのかい?」

きみは答えた。

「もちろん、この髪は
神が伸ばしていらっしゃるのだ」


ぼくは朽ち果てた修道院にいる
母に会いに行くのだ。

きみは無精髭を泉に映し
これもまた神のおぼしめしという。
聖なる髭だと笑う。

農婦が聞く。

「あんたたち、汚すぎるよ
カラダでも拭いたらどうだい?」

ぼくは答えた。

「無論、汚いのは承知。
しかしこれもまた神のおめぐみなんだ」


明け方、青いひかりを見た。
母が死んだ、という神からの
知らせだった。

ぼくはそのひかりに祈った。

「母はひかりでした
それを翳らせたのはぼく。
汚いのは承知です
このまま行かせてください
亡骸を抱かせてください」

ぼくが祈る間、
きみは青いひかりを浴びて
無精髭のまま眠っていた。

それは聖なる眠りだった。

【語り】

ぼくのひかりは、あなた。
あなたこそ、神のめぐみ。



鹿埜類詩集8【ひかり】_b0312706_10484065.jpg










HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈】


婦女公論が発売された。

煙草を買うついで、と自分に言い訳し、
テレビガイドと一緒に買った。

(テレビガイドは照れ隠し。
いい年をしたおっさんが
婦女公論を買うには勇気がいる)

立ち読みさえしたことのない
【婦女公論】を買ったのは

(それも発売日の朝)

もちろん、鹿埜類の母親だという
【瀬野華恵】という女性の手記を読むためだ。

しかし、なかなかページを開けなかった。
出勤時間となり、それを持ち、会社へ行った。

自分に言い訳をした。
昼メシを喰いながら読もうと。

が、昼休みにも読まなかった。

(会社の若い男を誘って
焼き肉屋で昼定食を食べた)

そして、深夜、読んだ。


鹿埜類の母親は
しごくまっとうな手記を書いていた。

(ネットの噂であるような
おかしな女性ではない。
文章も割にうまく、何より
正直に書いている印象を受けた)


母親は
手記を書いた理由として、

摂食障害と呼ばれる病で苦しむ
母と娘たちのため、と上げ、

また、ネットにおいての
無責任な批判、様々な中傷を
身をもって受けた者として
その精神的被害の大きさを
世の人に知ってもらいたい

とも書いてあった。


が、鹿埜類、本名瀬野唯の母親、
瀬野華恵は手記の中で、ただひたすら、
我が子【唯】の早逝を悼んでいた。

(発売されたばかりの雑誌から
その内容(文章)を
そっくり引用することは
控えなけければならないだろうから、
簡単に要約する)

母親【瀬野華恵】はロシア人を父に持つ
いわゆるハーフとして生まれた。

思春期まではロシアで裕福に育ち、
その後、母親の故郷である日本へ移住した。

(その背景には多分に
政治的なものがあったようだ
父親は数年日本で過ごした後、
華恵の母親と離婚し、ロシアへ戻った。

その後華恵が結婚するまでの数年間は
苦しい暮らしぶりだったらしい。

ロシア人の父譲りのエキゾチックな美貌の
持ち主であった華恵は19才で見合いをし、
鹿埜類の父親と結婚した。

華恵は結婚の条件として
自分の母親の暮らしの面倒を
見ることをあげたという。

結婚相手の瀬野亘は裕福な家の出だった。
手記を読むと多くの不動産を持つ
旧家の出だったらしい)


結婚後、2年して
鹿埜類(瀬野唯)が生まれた。

(あまりにも
可愛い赤ちゃんで
生まれて初めて
恋に落ちたかのように
わたしは娘に夢中になった、と
華恵は書いている。

確かに類は
可愛い赤ん坊だったろう)


華恵は、類が3才になると
ピアノとバレエを習わせ始める。

華恵自身もロシアでそのふたつを
幼い頃から習っていた。

華恵の幼い頃の夢は、バレリーナか
ピアニストだった。

手記には、そのどちらにもなれる才能は
わたしにもあったと思います、とある。

自身の夢が花開く直前に
周囲の環境が変わり、
その道が絶たれてしまったと書いている。

類はピアノにもバレエにも
等しく才能があった、と

華恵は書く。

どちらにも子供ながらに
熱心に取り組み、
めきめきと上達した、と書く。

(華恵は類の習うピアノ曲や
バレエのポーズ、踊りはすべて
自分でもやってみせたらしい。
若く母親となった華恵は
類のバレエ教室の成人のクラスに所属し
発表会にも出たという)

中学に上がった類(唯だが)は
バレエのコンクールで賞を受賞し、
華恵は類をロシアへバレエ留学させようと
色々動いた時期もあったらしい。

しかし、それは諸事情が許さず
実現されなかった、という。

その頃まで、類(唯だが)は
華恵にとって
【光り】そのものであった。

(この【光り】という語は
実際手記に何度も出てくる。

「ひかりの子であった唯」
「わたしのひかり、唯」
「唯の死の知らせを聞き、
わたしは盲目になったような気がした。
世界から光が消えてしまった」

などとある)


華恵は【光り】であった類が
【影】をまとうようになったのは

思春期を迎え、
華奢であった類の体つきが
だんだんと丸みを
帯びてきた頃だった、と書く。

華恵は、類の食事制限を始めたという。
そして、それをもっとも
強く望んだのは類だった、という。


華恵は、

野菜と赤身の肉や魚を中心とした
ヘルシーで高栄養の食事を

(料理教室にまで通って)

朝晩と作るようにした。

(昼は給食があった)


華恵は書く。

「なぜ、娘が摂食障害になったのか、
実は今もわたしには分かりません。

わたしは娘に食べさせていました。
良い食事を手を抜くことなく作り、
娘はそれを喜んで食べていました。

確かにジャンクフードや甘いものを
制限してはいました。

でも当時わたしはそれをすることが
母親として大切なのだと信じていたのです。
娘の将来のため、わたしは
それをやるべきだと思っていたのです。

そして娘もそれに感謝してくれていたのです。
ママ、ありがとう、と娘はよくわたしに
言ってくれたものです。

ママが作ってくれるごはんが
一番好きだとそういつも
言ってくれていました」

それは本当のことだったろう。



当時の華恵の写真が
この手記にはなぜか掲載されている。

華恵は美しい女性だ。

どこかの女優かと思うくらい
カメラに向かって艶然と微笑んでいる。

(こんな美しい人がいつも
そばにいた類の思春期というのは
どういうものだったろうと思う。

筆者だったら、緊張するだろう。

筆者の母は出っ歯の
亀のような風貌なので
ひたすら安心感がある)


若き日の華恵は、類に似ている。

しかし美貌だけで競えば
華恵に軍配が上がるだろう。

類はもう少し寂しい顔立ちだった。

そして水彩絵の具で描いたかのような
透明感があった。(影が薄かった)

それに相対して
華恵は油絵の具で描かれた花のようだ。

濃厚で、重量感がある。



手記の前半はこんな風に終わる。

「娘がどうやら従兄弟であるSの部屋に
時々遊びに行っているようだ、
と知ったのは娘が通っている
バレエ教室の先生から、娘が、
週に3回のレッスンを2回、
もしくは1回しか来ないと
連絡を受けた頃でした。

Sはわたしの母親の姉の子どもです。
母親とその姉とは父親が違います。

(中略)

Sは好青年でしたが、高校に上がった頃から
不良というか、今で言うひきこもりを始め、
部屋でギターばかりを弾いて
過ごしているようでした。
父親を一度殴り
(父親は鼻の骨を折ったようです)
それが原因で自宅から離れたアパートで
独り、暮らして居ました。

偶然にもそのアパートは
娘の通うバレエ教室の近くにありました。

一度、娘とSの部屋を訪ねたことがあります。
悪性の風邪をひいて寝込んでいる、
と聞いたので、
栄養が足りないといけないと思い、
食事を作り、それを届けたのです。

今思うとそれが
娘の生涯のパートナーとなった
Sと娘の初めての出会いでした。」


わたしはここまで読んで
「婦女公論」を閉じた。

そして、後半を数時間置いて読んだ。

(それはまた後日紹介しよう)



冒頭に鹿埜類の最後のアルバム
【十字塔】から、
【ひかり】の歌詞を紹介した。

難解な歌詞が並ぶ【十字塔】のなかでも
特別難解なこの曲が、手記を読んだ後では

ただの作文(素直なという意味で)
のように思える。

鹿埜類は母を愛していた。

そして、できれば母の死を
見届けたいと思っていた。

亡骸を抱くことを望んでいた。


が、それはできなかった。

(できないだろうという
予感はあったのかもしれない)

しかし、それを望んで
なんとか45才まで生きたのだ。


類の死は、
やはり自死ではなかったと思う。

(こう思えただけでも
この手記を読んでよかった)




手記は連載のかたちを取るらしい。


(ネットでは早くも、この手記を受けて

【最強の毒親、登場】
【娘殺しの言い訳】
【死んだ娘を使っての売名行為】

などとひどい中傷が出始めている)


Sとして手記に登場した
岸田蒼汰(多分そうだろう)は
沈黙を守っている。

わたしも類の母親による
この連載の行方を
静かに見守ろうと思う。





# by houki666 | 2014-03-31 14:16 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)