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by 空想家sio


鹿埜類詩集3 【幻燈会】

幻燈会(1stアルバム「幻燈会」より)

きみは長い髪で黒いセーター
ぼくはちぢれ髪で白いセーター
畳のうえであお向けで
きみは太宰を、ぼくは三島を読む
寂しい昼が通り過ぎてゆく

きみはとうに学校をやめてしまった
ぼくはさぼってはきみの部屋で
畳のうえの猫を撫でる
きみは頭を、ぼくはお腹としっぽ
寂しい昼が通り過ぎてゆく

【語り】
きみはヒヤシンスの球根を眺めながら
難しい数式を解いていた。
猫の名前はフランチェスコで
きみは父親を何度か殴っていた。

きみは長い髪で黒いセーター
ぼくはちぢれ髪で白いセーター
畳のうえで正座をして
きみは聖書を、ぼくは森茉莉を読む
嗚呼、寂しい昼は夜となっていく



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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈

鹿埜類のファーストアルバム「幻燈会」の
1曲目を飾ったアルバムタイトルにもなった曲。

この歌を初めて聴いた時、
1986年というバブル期の騒がしい日本に
生きていたひとりの女子高校生、
瀬野唯(鹿埜類の本名)が
なぜ、こんな歌詞を書いたのか
なぜ、書かずにいられなかったのか、不思議だった。

なぜなら、ここに出てくる
長い髪の黒いセーターの人物と
ちぢれ髪の白いセーターの人物は
学校をさぼって(一方は学校をやめ)
畳の上で仰向けになって本を読み、
ただ、猫を撫でているのだ。

そこには騒がしい世間の音は聞こえてこない。
そこにあるのはひたすらに遮じた世界だ。

不思議に浮かれた80年代を感じさせない。


鹿埜類を論じる時、
鹿埜類が70年代のフォークに
影響を受け、それを模したのではないか
という説が必ず出てくる。

わたしも少なからずそう思う。

特に影響を受けただろうと思われるのが
森田童子だ。

鹿埜類自身も、影響を受けたアーティストとして
森田の名前を挙げている。

(他には金延幸子ケメ(佐藤公彦)
T.REX、デビッド・ボオイなどを挙げている)


デビュー当時の鹿埜類が
音楽雑誌のインタビューにこう答えている。

(こんな風に自分のことを
鹿埜類が話したのは珍しいことだ。
多分デビュー当時で、
何を話したらいいのか、
何を話さないほうがいいのか、
分からなかったのだろう)

「ぼくはひとりっ子なんだけど、
七つ年上の親戚のお兄さんにすごく
可愛がってもらったんだよ。
そのお兄さんは変わり者で、学校なんか
水曜日と金曜日しか行かなかった。
水曜日と金曜日は美術の授業があったんだ。
他の日はだいたい部屋にいて、
レコードをかけながら、本を読んでいた。
ぼくはピアノやバレエのレッスンを
母親に内緒で休むようになってからは
よくそこに避難した。
そこで色々聴いたんだ。
お兄さんは男だったけど、ちょっと
なよなよした音楽が好きでね、
キャンディーズとか太田裕美とか聴いたり、
佐藤公彦の【学生通り】聴いていつも泣いてね。

ー佐藤公彦って、ケメって呼ばれていたひと?

そう。ぼくも色々歌えるよ。
【今は昼下がり】とか。

ーへえ、鹿埜類の意外なルーツ。
森田童子もお兄さんが好きだった?

うん、森田童子はそれこそレコードが
すりきれるほど聴いていた。
森田童子を聴きながら、
お兄さんが作ってくれた焼きそば
と、いってもカップ焼きそばだよ、
それを食べていると、
なんかどうでもいいような気持ちになって
4才から通っていたバレエ教室を
ある日、勝手に辞めちゃったの。

ーカップ焼きそば食べて辞めちゃったの?

うん、ぼく、ずっとダイエットしていたからね。
バレリーナは細くなくっちゃならないから。
カップ焼きそばなんて絶対、
食べちゃいけなかったんだよ。
それに本当はクラッシック以外の音楽も
聴いちゃいけなかったんだよ。

ーもしかして厳しい家だったの?

わからない。普通の家だった気もするし
違ったような気もする。・・・・・。

ーそのお兄さんは今は何を?

うーん、よくわからない。
まだあの部屋にいて、何やら書いてる。
多分、男色小説を書いているんだと思う。
森茉莉の「枯葉の寝床」みたいなヤツ。

ーえっ、男なのに?

男って感じじゃないの、お兄さんは。
ぼくとよく似ているんだよ。
母親同士が姉妹だから。

ーへえ、鹿埜類に似ているんだ

そう、よく兄弟に間違えられたよ。
兄弟ってところが笑えるけど。

ー会ってみたいな、個人的に。

多分、会わないよ
お兄さんは美しいものにしか
興味を示さないから(笑)」


このインタビューを読むと、
「幻燈会」の一方の人物は
このお兄さんで、一方がまだ
鹿埜類でなかった瀬野唯だと思われる。

そして瀬野唯は、
この部屋で過ごしたために

(学校にほとんど行かないお兄さんと
畳の上で、なよなよした音楽を聴き、
カップ焼きそばを食べた)

幼児期から習っていたバレエを辞め
髪を短く刈り、曲を作り始め、
鹿埜類となったのだ。

そう考えると、鹿埜類が
デビューアルバムの1曲目に
この曲を持ってきたのは必然だったろう。

そう、思ってしまう。


鹿埜類が育った家については
ファンが色々と推測している。

通っていた学校が、有名な
中・高一貫のミッションスクールらしきこと、

3才からピアノを、
4才からバレエを習っていたということ、

レコード会社のオーディションなどを
受けずに、突然デビューをしたこと、

から、

父親が著名な音楽プロデューサーの○○ではないか、
または母親の家系が有名な○○芸術一家の出ではないか、
また「お兄さん」は異端作家と呼ばれる○○ではないか、

などだ。

しかしどれも確証はない。

(今のネット時代であれば、
鹿埜類の出自はすぐに割れただろうが、
あの頃はまだ、情報は身近な者でしか
得られない、ある意味安全な時代だった)


しかし、わたしはもしかしたら、
瀬野唯を鹿埜類に変化させた
「お兄さん」は、鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰かもしれない、

とこころ密かに思っている。


岸田蒼汰はある時期作家を
目指していたと何かの折に答えているし、

鹿埜類とはちょうど七つ年が離れている。

確かに、母親が姉妹通しの従兄弟の婚姻など
常識的にはありえないことだが、

鹿埜類が幼い頃から
こころをゆるしていた唯一の人物が
岸田蒼汰であったとしたら、

後年、こころを病んだといわれる
鹿埜類を護るために、誰かが
(或いは岸田蒼汰自身が)
何らかの方法を用いて、婚姻、
もしくは、婚姻状態にしたのかもしれない、

と思う。

実際、岸田蒼汰と鹿埜類は
おもざしがよく似ていた。

細い顎と長い手足が特に似ていた。


次回は、2ndアルバム「実験室」より
「シャアプ」を紹介しようと思う。


(HP「鹿埜類幻燈博覧館」鴉随想より)























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by houki666 | 2014-02-02 12:14 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)
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