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by 空想家sio


鹿埜類詩集4 【実験室】

実験室 (2ndアルバム「実験室」より

どうですか、データは
前より良くなりましたか?

山陰の漁村にある廃校の理科室で
ぼくらの実験が始まっている。
きみはぼくと一緒に
ここに逃げてきた。
名前を偽って、小さな家を借り
家の前の花壇には
葱とチューリップの球根を植えた。

きみとぼくは一日
実験を続ける。
夜から雨になった。
良いデータは出ない。


どうでしょう、データは
結局、変わらないままですか?

実験室には様々な機器が並べられ
時折、専門家が訪れてため息をつく。
ぼくはきみと一緒に
ここに潜行している。
名前を偽って、小さな家を借り
時々、きみは魚を焼き
食べたがらないぼくに身をほぐしてくれた。

きみとぼくは一日
実験を続ける。
朝焼けを見ては寝る。
良いデータは出ない。

甘美なる実験室。
ぼくはずっと実験を続けていたい。
誰にも、このデータを見せたくない。

良いデータは、出さない。



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HP「鹿埜類幻燈博覧館」管理人鴉氏による、注釈

今回は同じアルバム「実験室」から、
ソリッドなロックナンバー「シャアプ」を
紹介するつもりだったが、変更して
アルバムタイトル曲としては地味ともいえる
「実験室」を取り上げることにした。

先日、「幻燈会」に出てくる「きみ」なる人物が
鹿埜類が、デビュー当時、
雑誌のインタビューで話した「お兄さん」であり、

その人物こそが、鹿埜類の夫となった
「岸田蒼汰」ではないだろうかという、
不確かな推測をここに書いたところ、

「実は自分もそう感じていた」という
コメントをいくつかいただいた。


そのひとつ、青森在住の
【ストレンジ・男】さんからのものを紹介しよう。

「鴉さま、いつも新鮮で興味深い注釈を、
何十年聴いても飽き足らない鹿埜類の歌詞と共に
書いてくださってありがとうございます。

当方、中学に入ったばかりの野球部男子の身で
偶然にも鹿埜類の世界に触れ、その後、
何十年を経過しても、鹿埜類から逃れられない
この冬とうとう不惑を迎えた独身・独居男です。


先日、鴉さまが、未だ鹿埜類になっていなかった
瀬野唯に、カップ焼きそばを食べさせた(?)
七つ年上の親戚の「お兄さん」は、
後に、鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰ではないかと
推測されていて、思わず、膝を打ちました。

わたしもずっとそう感じていたのです。

なぜ感じていたのか、

1,鹿埜類と岸田蒼汰は顔や体つきが似ている

2,岸田蒼汰は鹿埜類のことをよく知っていた。

(幼い頃のことも知っているようで、リサイタルで
時々、きみは乱暴なコドモだったよね、とか暴露していた)

3,アルバムのための曲作りをふたりで行っていた。

(人の好き嫌いが激しく、神経質で、
かつ辛辣すぎて、敵を作りやすい性質の鹿埜類が、
ずっとひとりのギタリストと曲を作っている
と、いうのが中学生にも不思議だった。
まあ、その頃からわたしは
岸田蒼汰に嫉妬していたといえるのでしょう。
あいつなんてオジサンだろ、といつも思っていました)


3,に関してはセカンドアルバム「実験室」のなかの
アルバムタイトル曲「実験室」が、すべてを
証明しているような気がします。

ファーストアルバム「幻燈会」が思ったより売れ、

(ドラマの主題歌に「ヘンゼル1986」が
なり、ヒットしたことが大きな原因でした)

気を良くした(?)レコード会社が
「ヘンゼル1986」のシングルカットから
半年のスパンで鹿埜類の次のアルバムを発売しようと、

鹿埜類をある地方の一軒家に缶詰にした、と
女性週刊誌で読んだことがありました。


少しスキャンダラスな記事の内容でした。
見出しは確か、こうだったと思います。

【女子高生シンガー、鹿埜類、
美形ギタリストとふたりだけの合宿(?!)】

合宿が行われたのはある山陰地方の海辺の町で
学生である鹿埜類が冬の休みに入るのを待って、
昔フランス人神父が住んでいたという
小さな洋館を借り、約10日間、
行われたとありました。

その合宿に同行したのはバンドメンバーである
ギタリストの岸田蒼汰だけで、実質はふたりだけの
「合宿」だった、と遠目からの写真付きで

(その写真ではキーボードを挟んで
鹿埜類と岸田蒼汰は向かい合っていました。
鹿埜類は遠目でも分かるくらい痩せていて
その細い骨張った手に
大きな黄色のマグカップを包んで、
ゆっくりと何かを飲んでいました)

何となく、嫌な感じの文章が綴ってありました。

(今思うと、「淫行疑惑」といったことを
それは示唆していたのでしょう。
その当時、鹿埜類は18才、岸田蒼汰は25才でした)

その疑惑に関して、
レコード会社サイドのコメントが載っていました。

「鹿埜類はギタリストとふたりきりではなく、
洋館には他のスタッフも入れ替わり立ち替わり
参加して、アルバム作りを進めている」とのことでした。


「実験室」はこの合宿の時のことを
歌ったものではないでしょうか。

ファンの間では、この歌は
性的なものを思わせる、ということで

(実験という言葉がそう思わせたのでしょうか
作られたミュージックビデオでの
頬を泥で汚された鹿埜類が
着ている黒いシャツの胸もとのリボンを
うつろな表情で解いていく様子が
そんな妄想を呼んだのでしょうか?

※あのミュージックビデオはあまり良くありませんでした。
鹿埜類を何かの記号にしようとしているようで、
わたしは見ていて、胸が苦しくなったほどです。
しかしあの頃のわたしはどれだけ
純情な中学生(坊主頭でした)だったのでしょう)

熱烈に愛するひとがいる一方で
嫌がるひとも多くいたように思います。


しかし、鴉様が書かれたように

鹿埜類が唯一こころを許せる人物が
「お兄さん」であったかもしれない
岸田蒼汰だったとしたら、

この「実験室」はほぼ実話で、

レコード会社からの
執拗な曲作りの催促に疲れてしまった
鹿埜類が「逃げてきた」先で

こころのバランスを取りながら

「実験」と称して、
岸田蒼汰と様々な曲を作っていた、
その日々の「ドキュメンタリー」
なのかもしれない、と思い至りました。


特に2番の

「時々きみは魚を焼き
食べたがらないぼくに身をほぐしてくれた」

というくだりは、ふたりの関係を
如実に語っているように思います。


鹿埜類が4枚目のアルバム「十字塔」を
何年も苦しんで作成した時、

(結局それが鹿埜類の
最後のアルバムとなってしまいました)

ラジオのインタビューに

(ー思ったより長くアルバム作りが
かかってしまった理由は?という問いに)

「実験するように曲を作るので
いつ完成するか、が見えない。
というより、未完成の曲を
ずっとジブンのなかでいじくっていたい、
実験していたい、それこそが、
ジブンのやりたいことかも、と
思うようになってしまって、それが原因かも」

と言葉少なに答えていたのを覚えています。


鹿埜類にとって、
後に、夫となった岸田蒼汰と
山陰の小さな町で過ごした10日間は
その後の人生を決める
大きな出来事だったのかも知れない、と

(そこにはきっと安らぎがあったのでしょう)

鴉さまの先日の注釈を読み、
今更ながら思ったのです。



鴉さまの推測はわたしに鹿埜類に対する
新たな視点を与えてくれました。

昨年の秋に、インターネットのニュースで
鹿埜類(本名瀬野唯45才)が死んだ、という報を見て、
立ち直れないほどの衝撃を受けたわたしにとって

鴉さまが唐突に(わたしには唐突と思えました)
始めてくださったこのホームページは
わたしにとって、ひとすじの光明となりました。

わたしが生涯忘れられないほどに
心を揺すぶられた鹿埜類という人物は

いったい何であったのか、
どんな人物であったのか、

これからも及ばずながらも
一緒に探求させていただきたいと思います。

思いもかげず、長文、まして
支離滅裂な文章になってしまったこと、
お詫びいたします。

2014年 1月31日 深夜、雪の青森より」


ストレンジ・男さんの考察はとても鋭く
それでいて鹿埜類への優しさに満ちていて
わたしはこれを読んで、しばらく
センチメンタルな底なしの井戸に落ちてしまった。

(センチメンタル・井戸。この曲も名曲
いつか紹介しましょう)


鹿埜類、あなたには
ただただ、生きていてほしかった。

歌わずとも、生きていてほしかった。

新月の細い細い弧を観る時、
あなたをいつも思います。


【HP「鹿埜類幻燈博覧館」鴉随想より】


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by houki666 | 2014-02-03 11:32 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)
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