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いろいろ空想してそれを文字にしています。haiku、10行の話、空想レシピなど。
by 空想家sio


鹿埜類詩集7【笹舟】

笹舟【ベストアルバム【男装女子の憂鬱~鹿埜類ベスト~】

ひそひそと誰かが
ぼくの悪口を
言っている。
いつもそうさ、
聞こえてくるんだ。

きみはそう言って、
苦しげに瞼を閉じた。

春浅き図書館の
眠たくなるような
日だまりのなかで

ぼくは
きみへとつながる
こころの川へ
笹の葉の舟をそっと流す。

ぼくはきみが好きだ。
それを伝えたくて。


どうしたって
ぼくのような人間が
生きていける筈がない。
いつだって独り
沈んでいくんだ。

きみはそう言って
ぼくを試そうとする。

混んでいるドーナツショップの
甘ったるく湿った空気の中で

ぼくは
きみへとつながる
こころの川へ
笹の葉の舟をそっと流す。

ずっときみが好きだ。
未来は今の続きさ

コワクナインダヨ

【語り】

なぜだろう。

きみは男の癖に
ぼくのカラダを
一度として
欲しがらなかった。

時折ぼくの頬に手を当て
微笑むだけで、それ以上は
何もしなかった。

あの、雨の怖ろしい夜、
ぼくたちは互いの震えを
おかしなほど感じながら
世界を敵に回すと決めた。

世界とはぼくのママで
きみのパパだった。


ずっときみが好きだ
未来は今の続きさ


鹿埜類詩集7【笹舟】_b0312706_10484065.jpg









HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈

大ニュースだ。

なんと、突如、
鹿埜類のベストアルバムが
新たに編まれ、発売された。

タイトルは
【男装美少女の憂鬱~鹿埜類ベスト~】だ。

(なんちゅうタイトルをつけるんじゃ!
おじさんは怒るぞ。売れればいい、という
会社の意図がみえみえだ。)

多分、昨秋にネットを駆け巡った
鹿埜類の死の報道(憶測を多分に含む)と
伝説と化していたスキャンダル女優、
恵那遙の復帰と、
鹿埜類の夫であった岸田蒼汰が
大物ロッカーの久しぶりのドームツアーに
参加するという話題を受け、

急遽、立ち上がった企画だろう。

収録曲は21曲。

ほぼ、鹿埜類の代表曲が納められている。

(この選曲は優秀だ。
スタッフのなかに
類のファンがいたのだろう)

ブックレットがついており、

懐かしい鹿埜類の初期の
【艶姿】(とあえて言おう。
事務所はこの類を男装美少女
と定義づけているのだ)が
10ページに渡って観ることができる。


さて、問題はこのアルバムの最後に
ボーナストラックとして
新たに加えられた未発表曲だ。

(この1曲があるがために
アルバムを全部持っているファンも
ついつい買わずにいられない)

それが今日紹介する【笹舟】だ。

ファンにとってはある意味、衝撃的な曲だ。



【笹舟】
これがいつ録音されたのか、
定かでは無い。

が、音の感じからして、
これはファーストアルバムの
【幻燈会】の頃のもののように思える。

岸田蒼汰の繊細なギターストリングスと
鹿埜類による小さなピアノ曲が
語りと最後のさびの繰り返しの前に
挟まれるかたちが

初期の鹿埜類の作る楽曲に
よく見られたものだからだ。

何より鹿埜類の声がとても若く、
初々しいのもそれを裏付けるだろう。


さて、この曲を聞いて
ある疑問が筆者の頭に浮かんだ。

なぜ、ずっとこれが
発表されなかったのか?

言い換えよう。

【笹舟】はなぜ、
隠されていたのか?

封印されていたのか?


(敢えて、隠された、と言おう。

この曲は不思議に明るく、
旋律は単純でありながら美しく、
サビなどはとてもキャッチーだ。
シングルカットをしても
そこそこ売れた筈だ。
それを発表せずにいた。

そこに何らかの意図を感じる。

ここを読んでいる方なら

恵那遙主演のドラマの主題歌
【ヘンゼル1986】が売れた直後、
1stアルバム発売から半年のスパンで
2ndアルバムを発売させようとした
事務所のごり押しに鹿埜類が
苦しんだことをご存じだろう。

〈ご存じない方は
鹿埜類詩集4【実験室】を
ご覧ください〉

とにかく、初期の頃、
事務所は1曲でも多くの
鹿埜類の作る曲を欲していたのだ。

それなのに、これを隠していた)

なぜ、隠したのか?

ふたつのことを筆者は推測する。

しかしながら、筆者が
推測するふたつの答えは
見事に相反している。

隠したのは、事務所だ、という答えと
隠したのは、鹿埜類、だという答えだ。


そのふたつを並べてみる。

推測の根拠は
どちらも、曲の後半にある語りだ。


【推測1】

この語りの中で、

自身を「ぼく」と呼び、

70年代少女漫画家が描いたところの
英国や欧州の全寮制男子学校の
制服のようないでたちを常にし、

自らの性(女の子であるということ)を
封印したようなかたちで
現れた鹿埜塁が唯一、

自分の性を、率直に
告白していることに注目したい。

その告白とは、

「きみは男の癖に
ぼくのカラダを
一度として
欲しがらなかった」

というものだ。

この時点で鹿埜類は
「ぼく」は「女のカラダ」を持つ
「女female」だということを
はっきりと示している。

それは、
性別不明(ユニセックス)な
特異なキャラクターで
鹿埜類を売らんとした事務所には
都合が悪かったのだと思われる。

(実際、鹿埜類のプロフィールの
性別の箇所にはわざとらしく×がされ、
デビューアルバムの裏ジャケットには
髪を乱した鹿埜類が精巧な少女の人形に
口づける写真が使われていた)

かくして、女のカラダを持っている
という告白が入っている【笹舟】は
事務所によって封印された、のだ。

これが推測の1だ。



【推測2】

この【笹舟】を隠したのは
鹿埜類自身。

(或いは、岸田蒼汰かもしれない。
なぜなら、鹿埜類の曲作りには
常に岸田蒼汰が関わっていたからだ。
類が気の向くままに書き留めた
詞とメロディーを蒼汰が膨らませ、
時につぎはぎをして
ひとつの曲に作り上げた。
このことは早い段階で
鹿埜類が明かしている)

以前の記事で、
【幻燈会】や【カラス】に出てくる
「きみ」は後に鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰ではないか?と書いた。

(未読の方は鹿埜類詩集の
2.3をご覧ください)

そして、ふたりは
七つ違いのいとこ同士であった、
とも書いた。

(これも推測だが)

この語りの最後にある

「あの、雨の怖ろしい夜
ぼくたちは互いの震えを
おかしなほど感じながら
世界を敵に回すと決めた。

世界とはぼくのママで
きみのパパだった」

は、それを裏付けている
ような気がしてならない。


いとこ同士(遠いながらも)であり、

高校時代、学校にほとんど行かず
本を読みふけり、
パパを殴ったことのある「きみ」と

(幻燈会の歌詞より推測)

バレエとピアノを幼い頃から習い
「きみ」の部屋に身を隠すことによって
その厳しい練習から逃れた「ぼく」とが

(様々なインタビューからの推測)


ある夜を境に、
「世界を敵に回す」ことにした。

それは、ふたりで生きていこうと
決めた瞬間ではなかったか?

と、筆者は思うのだ。

そして、それは
ふたりの最大の秘密であった。

でも類はそれを表に出した。

曲の中の語りとして。


(最大の秘密を
告白するのであるから、

類は巧妙な作戦をとっている。

歌のなかの【ぼく】と【きみ】と
語りの【ぼく】と【きみ】とで、

立場を反転させ、

聞き手をわざと
混乱させている。


歌の【ぼく】は少年で
語りの【ぼく】は少女だ。

つまり、歌が
フィクションで
語りが【告白】なのだ)


筆者は推測する。

事務所は【笹舟】の語りの削除を
要求しただろうと。

そして、それを類は強固に
受け入れなかったのだろうと。

そして、【笹舟】は封印された。

類の手によって。


これが推測の2だ。



どうだろう?

読者の方々の推測も
聞いてみたいところだ。



話題は変わる。

実は最近、ここを読んでいる
鹿埜類のファンの方から

鹿埜類の曲が

一部のBL(ボーイズラブ)愛好者から
にわかに聴かれ始めているらしい、

という情報をもらった。

(Twitterなどで頻繁に
そんなやりとりがあるらしい)

言われてみれば、
「きみ」と「ぼく」が
頻繁に登場する鹿埜類の曲は
ボーイズラブの設定に
当てはまっているような気もする。

確かに【幻燈会】などは、
ふたりの男の子が
(黒いセーターと白いセーターの)
猫を挟んで、畳の上で本を読みながら、
寄り添っているような光景が
目に浮かぶ。

(これを知り、突如発売された
ベストアルバムのタイトル、
【男装美少女の憂鬱】は
失敗だったかも、と思う。
あの事務所はまたも読み違えたのだ。
ざまあみろ、と筆者は思う)

しかし、しかし、
BLを好む諸君、

(これを読んでいるとはとても思えんが)

鹿埜類は【笹舟】で
「ぼく」は実は「女」なのであると
暴露しているのだ。

そして「きみ」は「男」だと
明示しているのだ。

決して、美少年同士の恋愛を
歌っているのではないのだ。

(それがどーしたよ、おじさん?
という声が聞こえるようだ)



さて、もうひとつビックニュース。

来月発売の雑誌【婦女公論】に
類の母親の手記が載るらしい。

タイトルは
【毒親と呼ばれて
~最愛の娘を摂食障害で
亡くした母親の記~】だ。

(これまた、なんちゅう
陳腐なタイトルじゃ
売れればいいのか?と
筆者はまたも思う)

にわかに
わたしたちの愛した鹿埜類の
身辺が慌ただしい。

それも彼女が世を去ってから、だ。


世間でも桜が咲き始め、
にわかに騒がしい。

筆者は鹿埜類と同じ年の従妹が
昔、戯れに詠んだ俳句を思い出す。

(彼女はとっくに嫁に行き、
今は二児の母親だ。
中年らしく太って、
介護の仕事をしている)


はろけくも喉の渇ける桜かな (sio)


類は今年の桜を
どこからか眺めているだろうか?

彼女の喉は渇いているだろうか?

筆者の喉は、渇いている。



by houki666 | 2014-03-30 11:08 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)
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