いろいろ空想してそれを文字にしています。haiku、10行の話、空想レシピなど。
by 空想家sio


鹿埜類詩集8【ひかり】

【ひかり】ラストアルバム【十字塔】より)

ぼくは修道士のきみと
ロシアの枯れた野を行く。

きみは滑稽なほど
髪を伸ばしていて、
誰もきみを修道士とは思わない。

農夫が聞く。

「かみさまはあんたを
おゆるしなのかい?」

きみは答えた。

「もちろん、この髪は
神が伸ばしていらっしゃるのだ」


ぼくは朽ち果てた修道院にいる
母に会いに行くのだ。

きみは無精髭を泉に映し
これもまた神のおぼしめしという。
聖なる髭だと笑う。

農婦が聞く。

「あんたたち、汚すぎるよ
カラダでも拭いたらどうだい?」

ぼくは答えた。

「無論、汚いのは承知。
しかしこれもまた神のおめぐみなんだ」


明け方、青いひかりを見た。
母が死んだ、という神からの
知らせだった。

ぼくはそのひかりに祈った。

「母はひかりでした
それを翳らせたのはぼく。
汚いのは承知です
このまま行かせてください
亡骸を抱かせてください」

ぼくが祈る間、
きみは青いひかりを浴びて
無精髭のまま眠っていた。

それは聖なる眠りだった。

【語り】

ぼくのひかりは、あなた。
あなたこそ、神のめぐみ。



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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈】


婦女公論が発売された。

煙草を買うついで、と自分に言い訳し、
テレビガイドと一緒に買った。

(テレビガイドは照れ隠し。
いい年をしたおっさんが
婦女公論を買うには勇気がいる)

立ち読みさえしたことのない
【婦女公論】を買ったのは

(それも発売日の朝)

もちろん、鹿埜類の母親だという
【瀬野華恵】という女性の手記を読むためだ。

しかし、なかなかページを開けなかった。
出勤時間となり、それを持ち、会社へ行った。

自分に言い訳をした。
昼メシを喰いながら読もうと。

が、昼休みにも読まなかった。

(会社の若い男を誘って
焼き肉屋で昼定食を食べた)

そして、深夜、読んだ。


鹿埜類の母親は
しごくまっとうな手記を書いていた。

(ネットの噂であるような
おかしな女性ではない。
文章も割にうまく、何より
正直に書いている印象を受けた)


母親は
手記を書いた理由として、

摂食障害と呼ばれる病で苦しむ
母と娘たちのため、と上げ、

また、ネットにおいての
無責任な批判、様々な中傷を
身をもって受けた者として
その精神的被害の大きさを
世の人に知ってもらいたい

とも書いてあった。


が、鹿埜類、本名瀬野唯の母親、
瀬野華恵は手記の中で、ただひたすら、
我が子【唯】の早逝を悼んでいた。

(発売されたばかりの雑誌から
その内容(文章)を
そっくり引用することは
控えなけければならないだろうから、
簡単に要約する)

母親【瀬野華恵】はロシア人を父に持つ
いわゆるハーフとして生まれた。

思春期まではロシアで裕福に育ち、
その後、母親の故郷である日本へ移住した。

(その背景には多分に
政治的なものがあったようだ
父親は数年日本で過ごした後、
華恵の母親と離婚し、ロシアへ戻った。

その後華恵が結婚するまでの数年間は
苦しい暮らしぶりだったらしい。

ロシア人の父譲りのエキゾチックな美貌の
持ち主であった華恵は19才で見合いをし、
鹿埜類の父親と結婚した。

華恵は結婚の条件として
自分の母親の暮らしの面倒を
見ることをあげたという。

結婚相手の瀬野亘は裕福な家の出だった。
手記を読むと多くの不動産を持つ
旧家の出だったらしい)


結婚後、2年して
鹿埜類(瀬野唯)が生まれた。

(あまりにも
可愛い赤ちゃんで
生まれて初めて
恋に落ちたかのように
わたしは娘に夢中になった、と
華恵は書いている。

確かに類は
可愛い赤ん坊だったろう)


華恵は、類が3才になると
ピアノとバレエを習わせ始める。

華恵自身もロシアでそのふたつを
幼い頃から習っていた。

華恵の幼い頃の夢は、バレリーナか
ピアニストだった。

手記には、そのどちらにもなれる才能は
わたしにもあったと思います、とある。

自身の夢が花開く直前に
周囲の環境が変わり、
その道が絶たれてしまったと書いている。

類はピアノにもバレエにも
等しく才能があった、と

華恵は書く。

どちらにも子供ながらに
熱心に取り組み、
めきめきと上達した、と書く。

(華恵は類の習うピアノ曲や
バレエのポーズ、踊りはすべて
自分でもやってみせたらしい。
若く母親となった華恵は
類のバレエ教室の成人のクラスに所属し
発表会にも出たという)

中学に上がった類(唯だが)は
バレエのコンクールで賞を受賞し、
華恵は類をロシアへバレエ留学させようと
色々動いた時期もあったらしい。

しかし、それは諸事情が許さず
実現されなかった、という。

その頃まで、類(唯だが)は
華恵にとって
【光り】そのものであった。

(この【光り】という語は
実際手記に何度も出てくる。

「ひかりの子であった唯」
「わたしのひかり、唯」
「唯の死の知らせを聞き、
わたしは盲目になったような気がした。
世界から光が消えてしまった」

などとある)


華恵は【光り】であった類が
【影】をまとうようになったのは

思春期を迎え、
華奢であった類の体つきが
だんだんと丸みを
帯びてきた頃だった、と書く。

華恵は、類の食事制限を始めたという。
そして、それをもっとも
強く望んだのは類だった、という。


華恵は、

野菜と赤身の肉や魚を中心とした
ヘルシーで高栄養の食事を

(料理教室にまで通って)

朝晩と作るようにした。

(昼は給食があった)


華恵は書く。

「なぜ、娘が摂食障害になったのか、
実は今もわたしには分かりません。

わたしは娘に食べさせていました。
良い食事を手を抜くことなく作り、
娘はそれを喜んで食べていました。

確かにジャンクフードや甘いものを
制限してはいました。

でも当時わたしはそれをすることが
母親として大切なのだと信じていたのです。
娘の将来のため、わたしは
それをやるべきだと思っていたのです。

そして娘もそれに感謝してくれていたのです。
ママ、ありがとう、と娘はよくわたしに
言ってくれたものです。

ママが作ってくれるごはんが
一番好きだとそういつも
言ってくれていました」

それは本当のことだったろう。



当時の華恵の写真が
この手記にはなぜか掲載されている。

華恵は美しい女性だ。

どこかの女優かと思うくらい
カメラに向かって艶然と微笑んでいる。

(こんな美しい人がいつも
そばにいた類の思春期というのは
どういうものだったろうと思う。

筆者だったら、緊張するだろう。

筆者の母は出っ歯の
亀のような風貌なので
ひたすら安心感がある)


若き日の華恵は、類に似ている。

しかし美貌だけで競えば
華恵に軍配が上がるだろう。

類はもう少し寂しい顔立ちだった。

そして水彩絵の具で描いたかのような
透明感があった。(影が薄かった)

それに相対して
華恵は油絵の具で描かれた花のようだ。

濃厚で、重量感がある。



手記の前半はこんな風に終わる。

「娘がどうやら従兄弟であるSの部屋に
時々遊びに行っているようだ、
と知ったのは娘が通っている
バレエ教室の先生から、娘が、
週に3回のレッスンを2回、
もしくは1回しか来ないと
連絡を受けた頃でした。

Sはわたしの母親の姉の子どもです。
母親とその姉とは父親が違います。

(中略)

Sは好青年でしたが、高校に上がった頃から
不良というか、今で言うひきこもりを始め、
部屋でギターばかりを弾いて
過ごしているようでした。
父親を一度殴り
(父親は鼻の骨を折ったようです)
それが原因で自宅から離れたアパートで
独り、暮らして居ました。

偶然にもそのアパートは
娘の通うバレエ教室の近くにありました。

一度、娘とSの部屋を訪ねたことがあります。
悪性の風邪をひいて寝込んでいる、
と聞いたので、
栄養が足りないといけないと思い、
食事を作り、それを届けたのです。

今思うとそれが
娘の生涯のパートナーとなった
Sと娘の初めての出会いでした。」


わたしはここまで読んで
「婦女公論」を閉じた。

そして、後半を数時間置いて読んだ。

(それはまた後日紹介しよう)



冒頭に鹿埜類の最後のアルバム
【十字塔】から、
【ひかり】の歌詞を紹介した。

難解な歌詞が並ぶ【十字塔】のなかでも
特別難解なこの曲が、手記を読んだ後では

ただの作文(素直なという意味で)
のように思える。

鹿埜類は母を愛していた。

そして、できれば母の死を
見届けたいと思っていた。

亡骸を抱くことを望んでいた。


が、それはできなかった。

(できないだろうという
予感はあったのかもしれない)

しかし、それを望んで
なんとか45才まで生きたのだ。


類の死は、
やはり自死ではなかったと思う。

(こう思えただけでも
この手記を読んでよかった)




手記は連載のかたちを取るらしい。


(ネットでは早くも、この手記を受けて

【最強の毒親、登場】
【娘殺しの言い訳】
【死んだ娘を使っての売名行為】

などとひどい中傷が出始めている)


Sとして手記に登場した
岸田蒼汰(多分そうだろう)は
沈黙を守っている。

わたしも類の母親による
この連載の行方を
静かに見守ろうと思う。





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by houki666 | 2014-03-31 14:16 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)
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