いろいろ空想してそれを文字にしています。haiku、10行の話、空想レシピなど。
by 空想家sio


カテゴリ:鹿埜類詩集(吟遊詩人)( 8 )

鹿埜類詩集8【ひかり】

【ひかり】ラストアルバム【十字塔】より)

ぼくは修道士のきみと
ロシアの枯れた野を行く。

きみは滑稽なほど
髪を伸ばしていて、
誰もきみを修道士とは思わない。

農夫が聞く。

「かみさまはあんたを
おゆるしなのかい?」

きみは答えた。

「もちろん、この髪は
神が伸ばしていらっしゃるのだ」


ぼくは朽ち果てた修道院にいる
母に会いに行くのだ。

きみは無精髭を泉に映し
これもまた神のおぼしめしという。
聖なる髭だと笑う。

農婦が聞く。

「あんたたち、汚すぎるよ
カラダでも拭いたらどうだい?」

ぼくは答えた。

「無論、汚いのは承知。
しかしこれもまた神のおめぐみなんだ」


明け方、青いひかりを見た。
母が死んだ、という神からの
知らせだった。

ぼくはそのひかりに祈った。

「母はひかりでした
それを翳らせたのはぼく。
汚いのは承知です
このまま行かせてください
亡骸を抱かせてください」

ぼくが祈る間、
きみは青いひかりを浴びて
無精髭のまま眠っていた。

それは聖なる眠りだった。

【語り】

ぼくのひかりは、あなた。
あなたこそ、神のめぐみ。



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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈】


婦女公論が発売された。

煙草を買うついで、と自分に言い訳し、
テレビガイドと一緒に買った。

(テレビガイドは照れ隠し。
いい年をしたおっさんが
婦女公論を買うには勇気がいる)

立ち読みさえしたことのない
【婦女公論】を買ったのは

(それも発売日の朝)

もちろん、鹿埜類の母親だという
【瀬野華恵】という女性の手記を読むためだ。

しかし、なかなかページを開けなかった。
出勤時間となり、それを持ち、会社へ行った。

自分に言い訳をした。
昼メシを喰いながら読もうと。

が、昼休みにも読まなかった。

(会社の若い男を誘って
焼き肉屋で昼定食を食べた)

そして、深夜、読んだ。


鹿埜類の母親は
しごくまっとうな手記を書いていた。

(ネットの噂であるような
おかしな女性ではない。
文章も割にうまく、何より
正直に書いている印象を受けた)


母親は
手記を書いた理由として、

摂食障害と呼ばれる病で苦しむ
母と娘たちのため、と上げ、

また、ネットにおいての
無責任な批判、様々な中傷を
身をもって受けた者として
その精神的被害の大きさを
世の人に知ってもらいたい

とも書いてあった。


が、鹿埜類、本名瀬野唯の母親、
瀬野華恵は手記の中で、ただひたすら、
我が子【唯】の早逝を悼んでいた。

(発売されたばかりの雑誌から
その内容(文章)を
そっくり引用することは
控えなけければならないだろうから、
簡単に要約する)

母親【瀬野華恵】はロシア人を父に持つ
いわゆるハーフとして生まれた。

思春期まではロシアで裕福に育ち、
その後、母親の故郷である日本へ移住した。

(その背景には多分に
政治的なものがあったようだ
父親は数年日本で過ごした後、
華恵の母親と離婚し、ロシアへ戻った。

その後華恵が結婚するまでの数年間は
苦しい暮らしぶりだったらしい。

ロシア人の父譲りのエキゾチックな美貌の
持ち主であった華恵は19才で見合いをし、
鹿埜類の父親と結婚した。

華恵は結婚の条件として
自分の母親の暮らしの面倒を
見ることをあげたという。

結婚相手の瀬野亘は裕福な家の出だった。
手記を読むと多くの不動産を持つ
旧家の出だったらしい)


結婚後、2年して
鹿埜類(瀬野唯)が生まれた。

(あまりにも
可愛い赤ちゃんで
生まれて初めて
恋に落ちたかのように
わたしは娘に夢中になった、と
華恵は書いている。

確かに類は
可愛い赤ん坊だったろう)


華恵は、類が3才になると
ピアノとバレエを習わせ始める。

華恵自身もロシアでそのふたつを
幼い頃から習っていた。

華恵の幼い頃の夢は、バレリーナか
ピアニストだった。

手記には、そのどちらにもなれる才能は
わたしにもあったと思います、とある。

自身の夢が花開く直前に
周囲の環境が変わり、
その道が絶たれてしまったと書いている。

類はピアノにもバレエにも
等しく才能があった、と

華恵は書く。

どちらにも子供ながらに
熱心に取り組み、
めきめきと上達した、と書く。

(華恵は類の習うピアノ曲や
バレエのポーズ、踊りはすべて
自分でもやってみせたらしい。
若く母親となった華恵は
類のバレエ教室の成人のクラスに所属し
発表会にも出たという)

中学に上がった類(唯だが)は
バレエのコンクールで賞を受賞し、
華恵は類をロシアへバレエ留学させようと
色々動いた時期もあったらしい。

しかし、それは諸事情が許さず
実現されなかった、という。

その頃まで、類(唯だが)は
華恵にとって
【光り】そのものであった。

(この【光り】という語は
実際手記に何度も出てくる。

「ひかりの子であった唯」
「わたしのひかり、唯」
「唯の死の知らせを聞き、
わたしは盲目になったような気がした。
世界から光が消えてしまった」

などとある)


華恵は【光り】であった類が
【影】をまとうようになったのは

思春期を迎え、
華奢であった類の体つきが
だんだんと丸みを
帯びてきた頃だった、と書く。

華恵は、類の食事制限を始めたという。
そして、それをもっとも
強く望んだのは類だった、という。


華恵は、

野菜と赤身の肉や魚を中心とした
ヘルシーで高栄養の食事を

(料理教室にまで通って)

朝晩と作るようにした。

(昼は給食があった)


華恵は書く。

「なぜ、娘が摂食障害になったのか、
実は今もわたしには分かりません。

わたしは娘に食べさせていました。
良い食事を手を抜くことなく作り、
娘はそれを喜んで食べていました。

確かにジャンクフードや甘いものを
制限してはいました。

でも当時わたしはそれをすることが
母親として大切なのだと信じていたのです。
娘の将来のため、わたしは
それをやるべきだと思っていたのです。

そして娘もそれに感謝してくれていたのです。
ママ、ありがとう、と娘はよくわたしに
言ってくれたものです。

ママが作ってくれるごはんが
一番好きだとそういつも
言ってくれていました」

それは本当のことだったろう。



当時の華恵の写真が
この手記にはなぜか掲載されている。

華恵は美しい女性だ。

どこかの女優かと思うくらい
カメラに向かって艶然と微笑んでいる。

(こんな美しい人がいつも
そばにいた類の思春期というのは
どういうものだったろうと思う。

筆者だったら、緊張するだろう。

筆者の母は出っ歯の
亀のような風貌なので
ひたすら安心感がある)


若き日の華恵は、類に似ている。

しかし美貌だけで競えば
華恵に軍配が上がるだろう。

類はもう少し寂しい顔立ちだった。

そして水彩絵の具で描いたかのような
透明感があった。(影が薄かった)

それに相対して
華恵は油絵の具で描かれた花のようだ。

濃厚で、重量感がある。



手記の前半はこんな風に終わる。

「娘がどうやら従兄弟であるSの部屋に
時々遊びに行っているようだ、
と知ったのは娘が通っている
バレエ教室の先生から、娘が、
週に3回のレッスンを2回、
もしくは1回しか来ないと
連絡を受けた頃でした。

Sはわたしの母親の姉の子どもです。
母親とその姉とは父親が違います。

(中略)

Sは好青年でしたが、高校に上がった頃から
不良というか、今で言うひきこもりを始め、
部屋でギターばかりを弾いて
過ごしているようでした。
父親を一度殴り
(父親は鼻の骨を折ったようです)
それが原因で自宅から離れたアパートで
独り、暮らして居ました。

偶然にもそのアパートは
娘の通うバレエ教室の近くにありました。

一度、娘とSの部屋を訪ねたことがあります。
悪性の風邪をひいて寝込んでいる、
と聞いたので、
栄養が足りないといけないと思い、
食事を作り、それを届けたのです。

今思うとそれが
娘の生涯のパートナーとなった
Sと娘の初めての出会いでした。」


わたしはここまで読んで
「婦女公論」を閉じた。

そして、後半を数時間置いて読んだ。

(それはまた後日紹介しよう)



冒頭に鹿埜類の最後のアルバム
【十字塔】から、
【ひかり】の歌詞を紹介した。

難解な歌詞が並ぶ【十字塔】のなかでも
特別難解なこの曲が、手記を読んだ後では

ただの作文(素直なという意味で)
のように思える。

鹿埜類は母を愛していた。

そして、できれば母の死を
見届けたいと思っていた。

亡骸を抱くことを望んでいた。


が、それはできなかった。

(できないだろうという
予感はあったのかもしれない)

しかし、それを望んで
なんとか45才まで生きたのだ。


類の死は、
やはり自死ではなかったと思う。

(こう思えただけでも
この手記を読んでよかった)




手記は連載のかたちを取るらしい。


(ネットでは早くも、この手記を受けて

【最強の毒親、登場】
【娘殺しの言い訳】
【死んだ娘を使っての売名行為】

などとひどい中傷が出始めている)


Sとして手記に登場した
岸田蒼汰(多分そうだろう)は
沈黙を守っている。

わたしも類の母親による
この連載の行方を
静かに見守ろうと思う。





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by houki666 | 2014-03-31 14:16 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集7【笹舟】

笹舟【ベストアルバム【男装女子の憂鬱~鹿埜類ベスト~】

ひそひそと誰かが
ぼくの悪口を
言っている。
いつもそうさ、
聞こえてくるんだ。

きみはそう言って、
苦しげに瞼を閉じた。

春浅き図書館の
眠たくなるような
日だまりのなかで

ぼくは
きみへとつながる
こころの川へ
笹の葉の舟をそっと流す。

ぼくはきみが好きだ。
それを伝えたくて。


どうしたって
ぼくのような人間が
生きていける筈がない。
いつだって独り
沈んでいくんだ。

きみはそう言って
ぼくを試そうとする。

混んでいるドーナツショップの
甘ったるく湿った空気の中で

ぼくは
きみへとつながる
こころの川へ
笹の葉の舟をそっと流す。

ずっときみが好きだ。
未来は今の続きさ

コワクナインダヨ

【語り】

なぜだろう。

きみは男の癖に
ぼくのカラダを
一度として
欲しがらなかった。

時折ぼくの頬に手を当て
微笑むだけで、それ以上は
何もしなかった。

あの、雨の怖ろしい夜、
ぼくたちは互いの震えを
おかしなほど感じながら
世界を敵に回すと決めた。

世界とはぼくのママで
きみのパパだった。


ずっときみが好きだ
未来は今の続きさ


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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈

大ニュースだ。

なんと、突如、
鹿埜類のベストアルバムが
新たに編まれ、発売された。

タイトルは
【男装美少女の憂鬱~鹿埜類ベスト~】だ。

(なんちゅうタイトルをつけるんじゃ!
おじさんは怒るぞ。売れればいい、という
会社の意図がみえみえだ。)

多分、昨秋にネットを駆け巡った
鹿埜類の死の報道(憶測を多分に含む)と
伝説と化していたスキャンダル女優、
恵那遙の復帰と、
鹿埜類の夫であった岸田蒼汰が
大物ロッカーの久しぶりのドームツアーに
参加するという話題を受け、

急遽、立ち上がった企画だろう。

収録曲は21曲。

ほぼ、鹿埜類の代表曲が納められている。

(この選曲は優秀だ。
スタッフのなかに
類のファンがいたのだろう)

ブックレットがついており、

懐かしい鹿埜類の初期の
【艶姿】(とあえて言おう。
事務所はこの類を男装美少女
と定義づけているのだ)が
10ページに渡って観ることができる。


さて、問題はこのアルバムの最後に
ボーナストラックとして
新たに加えられた未発表曲だ。

(この1曲があるがために
アルバムを全部持っているファンも
ついつい買わずにいられない)

それが今日紹介する【笹舟】だ。

ファンにとってはある意味、衝撃的な曲だ。



【笹舟】
これがいつ録音されたのか、
定かでは無い。

が、音の感じからして、
これはファーストアルバムの
【幻燈会】の頃のもののように思える。

岸田蒼汰の繊細なギターストリングスと
鹿埜類による小さなピアノ曲が
語りと最後のさびの繰り返しの前に
挟まれるかたちが

初期の鹿埜類の作る楽曲に
よく見られたものだからだ。

何より鹿埜類の声がとても若く、
初々しいのもそれを裏付けるだろう。


さて、この曲を聞いて
ある疑問が筆者の頭に浮かんだ。

なぜ、ずっとこれが
発表されなかったのか?

言い換えよう。

【笹舟】はなぜ、
隠されていたのか?

封印されていたのか?


(敢えて、隠された、と言おう。

この曲は不思議に明るく、
旋律は単純でありながら美しく、
サビなどはとてもキャッチーだ。
シングルカットをしても
そこそこ売れた筈だ。
それを発表せずにいた。

そこに何らかの意図を感じる。

ここを読んでいる方なら

恵那遙主演のドラマの主題歌
【ヘンゼル1986】が売れた直後、
1stアルバム発売から半年のスパンで
2ndアルバムを発売させようとした
事務所のごり押しに鹿埜類が
苦しんだことをご存じだろう。

〈ご存じない方は
鹿埜類詩集4【実験室】を
ご覧ください〉

とにかく、初期の頃、
事務所は1曲でも多くの
鹿埜類の作る曲を欲していたのだ。

それなのに、これを隠していた)

なぜ、隠したのか?

ふたつのことを筆者は推測する。

しかしながら、筆者が
推測するふたつの答えは
見事に相反している。

隠したのは、事務所だ、という答えと
隠したのは、鹿埜類、だという答えだ。


そのふたつを並べてみる。

推測の根拠は
どちらも、曲の後半にある語りだ。


【推測1】

この語りの中で、

自身を「ぼく」と呼び、

70年代少女漫画家が描いたところの
英国や欧州の全寮制男子学校の
制服のようないでたちを常にし、

自らの性(女の子であるということ)を
封印したようなかたちで
現れた鹿埜塁が唯一、

自分の性を、率直に
告白していることに注目したい。

その告白とは、

「きみは男の癖に
ぼくのカラダを
一度として
欲しがらなかった」

というものだ。

この時点で鹿埜類は
「ぼく」は「女のカラダ」を持つ
「女female」だということを
はっきりと示している。

それは、
性別不明(ユニセックス)な
特異なキャラクターで
鹿埜類を売らんとした事務所には
都合が悪かったのだと思われる。

(実際、鹿埜類のプロフィールの
性別の箇所にはわざとらしく×がされ、
デビューアルバムの裏ジャケットには
髪を乱した鹿埜類が精巧な少女の人形に
口づける写真が使われていた)

かくして、女のカラダを持っている
という告白が入っている【笹舟】は
事務所によって封印された、のだ。

これが推測の1だ。



【推測2】

この【笹舟】を隠したのは
鹿埜類自身。

(或いは、岸田蒼汰かもしれない。
なぜなら、鹿埜類の曲作りには
常に岸田蒼汰が関わっていたからだ。
類が気の向くままに書き留めた
詞とメロディーを蒼汰が膨らませ、
時につぎはぎをして
ひとつの曲に作り上げた。
このことは早い段階で
鹿埜類が明かしている)

以前の記事で、
【幻燈会】や【カラス】に出てくる
「きみ」は後に鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰ではないか?と書いた。

(未読の方は鹿埜類詩集の
2.3をご覧ください)

そして、ふたりは
七つ違いのいとこ同士であった、
とも書いた。

(これも推測だが)

この語りの最後にある

「あの、雨の怖ろしい夜
ぼくたちは互いの震えを
おかしなほど感じながら
世界を敵に回すと決めた。

世界とはぼくのママで
きみのパパだった」

は、それを裏付けている
ような気がしてならない。


いとこ同士(遠いながらも)であり、

高校時代、学校にほとんど行かず
本を読みふけり、
パパを殴ったことのある「きみ」と

(幻燈会の歌詞より推測)

バレエとピアノを幼い頃から習い
「きみ」の部屋に身を隠すことによって
その厳しい練習から逃れた「ぼく」とが

(様々なインタビューからの推測)


ある夜を境に、
「世界を敵に回す」ことにした。

それは、ふたりで生きていこうと
決めた瞬間ではなかったか?

と、筆者は思うのだ。

そして、それは
ふたりの最大の秘密であった。

でも類はそれを表に出した。

曲の中の語りとして。


(最大の秘密を
告白するのであるから、

類は巧妙な作戦をとっている。

歌のなかの【ぼく】と【きみ】と
語りの【ぼく】と【きみ】とで、

立場を反転させ、

聞き手をわざと
混乱させている。


歌の【ぼく】は少年で
語りの【ぼく】は少女だ。

つまり、歌が
フィクションで
語りが【告白】なのだ)


筆者は推測する。

事務所は【笹舟】の語りの削除を
要求しただろうと。

そして、それを類は強固に
受け入れなかったのだろうと。

そして、【笹舟】は封印された。

類の手によって。


これが推測の2だ。



どうだろう?

読者の方々の推測も
聞いてみたいところだ。



話題は変わる。

実は最近、ここを読んでいる
鹿埜類のファンの方から

鹿埜類の曲が

一部のBL(ボーイズラブ)愛好者から
にわかに聴かれ始めているらしい、

という情報をもらった。

(Twitterなどで頻繁に
そんなやりとりがあるらしい)

言われてみれば、
「きみ」と「ぼく」が
頻繁に登場する鹿埜類の曲は
ボーイズラブの設定に
当てはまっているような気もする。

確かに【幻燈会】などは、
ふたりの男の子が
(黒いセーターと白いセーターの)
猫を挟んで、畳の上で本を読みながら、
寄り添っているような光景が
目に浮かぶ。

(これを知り、突如発売された
ベストアルバムのタイトル、
【男装美少女の憂鬱】は
失敗だったかも、と思う。
あの事務所はまたも読み違えたのだ。
ざまあみろ、と筆者は思う)

しかし、しかし、
BLを好む諸君、

(これを読んでいるとはとても思えんが)

鹿埜類は【笹舟】で
「ぼく」は実は「女」なのであると
暴露しているのだ。

そして「きみ」は「男」だと
明示しているのだ。

決して、美少年同士の恋愛を
歌っているのではないのだ。

(それがどーしたよ、おじさん?
という声が聞こえるようだ)



さて、もうひとつビックニュース。

来月発売の雑誌【婦女公論】に
類の母親の手記が載るらしい。

タイトルは
【毒親と呼ばれて
~最愛の娘を摂食障害で
亡くした母親の記~】だ。

(これまた、なんちゅう
陳腐なタイトルじゃ
売れればいいのか?と
筆者はまたも思う)

にわかに
わたしたちの愛した鹿埜類の
身辺が慌ただしい。

それも彼女が世を去ってから、だ。


世間でも桜が咲き始め、
にわかに騒がしい。

筆者は鹿埜類と同じ年の従妹が
昔、戯れに詠んだ俳句を思い出す。

(彼女はとっくに嫁に行き、
今は二児の母親だ。
中年らしく太って、
介護の仕事をしている)


はろけくも喉の渇ける桜かな (sio)


類は今年の桜を
どこからか眺めているだろうか?

彼女の喉は渇いているだろうか?

筆者の喉は、渇いている。



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by houki666 | 2014-03-30 11:08 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集6 【カラス】

カラス (3rdアルバム【睡眠窟】より)

黒いカラス
白いカラス
青いカラス
紺のカラス
ぼくはそのどれでもない。

夕暮れ時は
どのカラスも家に帰る
神社があるあの山
るるるるるる
ぼくはどこにも帰らない。

どこからか
カレーライスの匂いがする
ぼくは途方に暮れて
ゲームセンターの隅で
血まみれのゾンビを撃つのさ


誰かがぼくに声をかける
遊ばないか?
見れば制服を着たカラスだ。
山へ帰れとぼくは叱った。

どこからか
カレーライスの匂いがする
ぼくは途方に暮れて
蒼い猫のアパートへ行き
固まった背骨を休ませるのさ

【語り】
寒いなあ
火鉢など役に立たないよ
いつかお金を稼いだら
暖炉のある家を買おうね
それにしても寒いな
そばにいっていい?
カレーライスが食べたいねえ

黒いカラス
白いカラス
青いカラス
紺のカラス
るるるるるる
ぼくはどこにも帰らない


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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈



今日は鹿埜類3rdアルバム【睡眠窟】より
【カラス】を取り上げる。

(このホームページをご覧の方だったら、
わたしが「鴉」と名乗っているのは
この曲が好きだからだ、と
思っていたことだろう。
もちろん、正解である)


さて、【カラス】という
シンプルなタイトルにして
7分20秒という、この長い曲は

フリージャズのようなアレンジを
岸田蒼汰(いわずと知れた後に
類の夫となったギタリスト)がほどこし、

そのアレンジのなかで類は、
自由に、ずっちゃずっちゃと
変則的なリズムでクラリネットを従え
ピアノを弾きまくり、

最後にはトランペットが
おもちゃのようなそれのような音で
カラスの鳴き声を永遠と模するという

(このトランペットを演奏しているのは
トランペット奏者として世界的に有名なKだ。
よく吹いてくれたものだと思う。
しかし彼のトランペットがこの曲に
何か、大きな世界観を与えたことは確かだ)

歌詞にはとても
似つかわない陽気さで満ちている。


わたしがこの曲に惹かれたのは
この陽気さだ。

太宰治の「右大臣実朝」に

「アルカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ
人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」

という有名な一節があるが、

この曲を聴いた時、わたしはそれを思い出した。


アレンジミスではないかと思われるほどの
陽気な演奏を従えて歌われる、
鹿埜類が書いた歌詞は暗い。

暗いが、どこか明るさが漂っている。


寒い日暮れに、どこにも帰らないぼくは
神社がある山に帰るカラスを見、
カレーライスの匂いをかぎ、途方に暮れる。

ゲームセンターへ行き
血まみれのゾンビを撃ちまくり
遊ばないか?と声をかけてきたサラリーマンに
唾を吐き、火鉢のあるアパートで
固まった背骨を伸ばす。

火鉢にあたりながら、

お金を稼いだら
暖炉のあるうちに住みたいといい、
カレーライスが食べたいなあと
のんきに言うのだ。


この曲の終わりにある類の語りも
どこか昔話を読んでいるかのように
訥々と明るい。

(1stアルバムなどにあった
吐息まじりの語りではない)


そういえば、3rdアルバム【睡眠窟】は
不思議に明るい曲ばかりが並んでいる。

1 眠り少年
2 苔の恋愛
3 ウエハース泥棒
4 饑餓屋敷
5 インスタント・沼
6 TOBACCO
7 狼と冬菫
8 カラス
9 玻璃食堂
10 しっぽつきGIRL
11 雪解けの日、ぼくは


【饑餓屋敷】という暗い曲も

(とある異国の森の奥深くにある
忘れられた大屋敷に住む
青年テオの物語だ。

ある冬に彼は父親を殺し、
ある夏に母親が彼を殺そうとした。

そこは今饑餓屋敷と呼ばれ、
テオと母親をつなぐ牢獄となっている
という歌詞だ)

ビートルズの
フール・オン・ザ・ヒルを思わせる
牧歌的な曲調にバグパイプが使われ、

【しっぽつきGIRL】に至っては

(栗鼠の歌だ。栗鼠がどんぐりを集めている、
というそれだけの歌詞)

類が木琴を叩いている。

喜びの溢れた弾む音で
聴く方も愉しくなる。


このアルバムの名を冠した
リサイタルツアーで
久しぶりにファンに姿を見せた類は

(この頃、類はテレビ・雑誌に
一切出なくなっていた。
そのため、悪い噂もあった。
精神科に通っているだの、
堕胎してその予後が悪いだの、
そういう類いの噂が
泡のように生まれては
消えていった)

こころなしか全体的にふっくらとしていて

今までの類が着ていたのとは違う
袖のふんわりとした白いシャツと
耳が隠れるくらいまで髪が伸びていて

とても可愛らしく見えた。


このリサイタルツアーでの類は
よく喋り、よく笑った。

類は笑うとき、あはは、と笑った。

「あはは、何言ってるんだか」
と口に人差し指を当てて、笑った。

(以前の類は、決してそんな風に
笑わなかったと思う。
唇のはしをちらりと上げて
はあっとため息をつくように
小さく笑うだけだった)


この頃だろうか、類が「ぼく」と言わずに
「ジブン」と言うようになったのは。

(今にして思えば、この頃が
類が精神的に一番
安定していたのだろう)


ぼくがジブンとなり、
いつか「ワタシ」になる、

(つまり、鹿埜類が瀬野唯と統合される)

そんな予感が類にはあったのかもしれない。


アルバム【睡眠窟】の最後の曲
【雪解けの日、ぼくは】にその予感が
ちらりと見える。

類は、雪解けの日、ぼくはきみに
小さな薔薇を渡すだろう、と書いた。

それは類の「女性性」
だったかもしれない。


また、同じ曲の間奏で小さく

まぼろしの小さなあんよ
まぼろしの小さなおめめ、
おいで、おいで、

とハミングしたのは、
類の母性の目覚めだったのかもしれない、

と今となっては思う。


が、ファンの中には
類に以前のような
少年らしさを要求する者もいて、

(はすっぱな態度、口をゆがめた微笑み
細い黒いタイを締め、脚を広げて椅子に座った。
短く刈った髪をいつも無造作に
指でくしゃくしゃにしていた)

リサイタルの中途で
「類、帰ってきて」と叫ぶ者もいた。

その言葉がかかると
類は明らかに困惑をして、
耳にかかった黒い髪を
気を揉むように触っていた。


わたしとしても複雑だった。

このまま類が髪を伸ばし
薄化粧などをし始めたら
自分は【鹿埜類】に
興味を持ち得続けるだろうかと思った。

類が、恋愛の幸福を歌ったりしたら
それを聞き続けるだろうか、と思った。

(ファン(他者)というのは
なんと残酷なのだろうと思う)


そんなわたしたちの逡巡を
鹿埜類は敏感に感じ取ったのかもしれない。

次のアルバムである【十字塔】は
製作に4年を費やすこととなり、

その間に類はファンクラブ【苔類】の
編集者の質問にこう喋ったことがある。


ー製作は順調?

「順調とはいえない。
キブンの波が大きくて
曲を作るというところまで
行けない時期もあって・・・・」

ー類はキブン屋だもんね

「まあね。時々、鹿埜類を
辞めちゃおうかなと思ったりして」

ーえ?それは衝撃発言だよ

「ははっ、もちろん冗談だけど、・・・。
でも、いったん辞めて
バンドとか、組もうかな、と
思ったりすることもある。
バンド名はもう決めてあるの。
・・・カナリアっていうの
あ、これ、内緒だった」

ーますます衝撃発言だよ!
ねえ、それってマジメな話かい?

「ううん、ただの妄想」

ーあー、よかった。
ところで最近また男前になったね

「え?ああ、髪?
そうなの、金髪にしちゃった。
伸びてきたから、黒が鬱陶しくて。
似合うでしょ?」

ー個人的には一番好きだな
類はそういうのがホント似合うね

「まあね、どっか異質な感じが
ぼくには合うんだね
駅の改札を抜けて
地元の商店街を歩いてたら
おばちゃんにぎょっとされるような
そういうのが、ぼくに合うんだね」

ーあっ、類が帰ってきた。
ぼく、っていうの久しぶりに聞いた

「ははっ、ただいまです」


このインタビューから3年後
鹿埜類は鹿埜類のまま、
わたしたちの前から姿を消してしまった。

引退するとも、休むとも言わず
ただ無言のまま、消えてしまった。


去年の秋、鹿埜類の訃報を聞くまで
わたしは「カナリア」というバンドが
どこかで活動していないかと
インターネットや情報誌を時々探していた。

もしかしたら、類は名前を変え、
音楽を続けているのではないかと
夢想をしていたのだ。

しかし、その夢想は潰えた。


これを書くのは辛いが、敢えて書く。
多分、反論されるだろう。

が、ずっと思ってきたことだ。
だから勇気を出して、書く。


もしかしたら、鹿埜類を殺したのは
わたしたちファンであったのかもしれない。

彼女の変容を拒否したわたしたちは
この結末を望んでいたのではないか、と

鹿埜類が、愛したままの姿で
永遠に自分たちの記憶に残ることを
心の奥底で望んでいたのではないか、と

そう、思ってしまう。

そしてそれを鹿埜類は
理解していたのではないか、と。

だから、極めて自死に近いかたちで
逝ってしまったのではないか、と。

45才というまだ十分に
若さが残る年齢で、わたしたちのために
去って行ったのではないか、と。

(否、そんなことはない。
決して、そんなことはない!)



鹿埜類は暖炉のある家に住んでいたという。

それがわたしにとって慰めになっている。


(HP【鹿埜類幻燈博覧館】鴉随想より)












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by houki666 | 2014-02-11 20:42 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集5 【ヘンゼル1986】

ヘンゼル1986(1stアルバム「幻燈会」より)


襖の向こうで声がした
あれはマザーとファザーの声だ

「あの子は思ったより頭が悪いですね」
「偏差値が伸びない」
「おまけに太っている」
「運動もできないんですよ」
「もう駄目でしょうね」
「何をやってもパッとしない」

ああ、ぼくは今夜捨てられるだろう
ポケットにパンを、パンを詰め込んでおこう


声はだんだんと辛辣になる
ため息と失笑、氷のような声だ

「今回の模試もさんざんでした」
「塾の月謝はいくらなんだ」
「わたしのパート代と同じです」
「こづかいは何に使っているんだ」
「漫画とゲームですよ」
「あの子がいなけりゃ楽になるな」

ああ、ぼくは今夜捨てられるだろう
暗い森昏い森、パンをちぎって道しるべに


襖の向こうで声がする。
マザーとファーザーの秘密の会議

「妹はできがいいな」
「ええ、あの子は素直ですから」
「おまけに顔が可愛らしい」
「脚も長くてスタイルが良いのです」
「妹に手をかけてやろう」
「ええ、そのほうがいいでしょうね」

ああ、ぼくは今夜捨てられた
ポケットにパンを、・・・・・パンが無い。
ああ、ぼくは今夜独りぼっち
暗い森昏い森、ギターピックをポケットに入れ

【語り】
ヘンゼル1986
(ナインティーンエイティシックス)
それからぼくは学校をやめ、歌を歌い始めた
ヘンゼル1986
(ナインティーンエイティシックス)
棄て子なんだ



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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈


先日、テレビをつけると
見覚えのある女性が映っていた。

10年前、同棲していた男性と
共にドラック所持を疑われ、

(結局は不起訴となった。
が、男性は逮捕された)

実質上女優を辞め、
単身ニューヨークに渡っていた、
恵那遥(えなはるか)だった。

彼女は、女優に復帰するということで
都内の小さな演劇スタジオで
記者会見を開いていたのだ。

薄化粧に加え、
セーターにジーンズという軽装だった。

演劇スタジオのロビーでの会見で
照明も無く、その頬は青白んで見えた。

が、ペルシャ猫を思わせる華やかな美貌と
そのまっすぐな美しく長い黒髪は健在で
大女優への階段を上り詰めていた頃の
周りを圧倒するようなオーラは
そのままにあった。

恵那遥は、独特の
ぽつぽつとつぶやくような口調で、
周りのレポーターたちが
差し出すマイクを避けるように
時折顔を伏せて、語っていた。

「いろいろと、ご迷惑をおかけ、
したこと、を、お詫びします。
この10年、ニューヨークで、
演技の勉強をこつこつと、やってきました。
今回、帰国したのは、小栗さんから、
直接、舞台のオハナシをいただき、
ぜひ、やってみたい、と思ったからです」

隣に、小栗という髪を茶色に染めた
背の高い男が立っていて、それを受けて、
快活に笑い、こう言った。

「恵那さんを初めて見たのは小学生の頃でした。
もちろん、あのドラマです。

(レポーターたちが笑う)

ぼくはあのドラマでの、
恵那さんが演じたメグに
本気で恋をしまして、
その恋は今も続いています。

この舞台でぼくは長年の恋を
成就させたいと思っています。

恵那遥さん、まずは、
ぼくのラブコールを
受けてくださってありがとうございます!
今後、ますますラブラブになりましょうね~

(レポーターたち、どっと笑う)」


小栗という男は
【跳16角形】という劇団を率いていて
昨年、有名な脚本賞も取ったのだそうだ。
役者としても、映画やテレビドラマで
活躍しているらしい。


が、そんなことをどうでもよかった。
わたしは小栗という男が
「あのドラマ」と言った瞬間に
テレビのリモコンを取り、ボリュームを上げた。

案の定、流れてきた。

鹿埜類の「ヘンゼル1986」が。

「あのドラマ」は主演女優であった恵那遥が
ドラック所持の疑いで騒がれてから
再放送はおろか、予定されていたDVD化も
とだえてしまった。

最高視聴率42パーセントを取った、
「あのドラマ」が再放送されている間は
鹿埜類のアルバムも不定期ながらも
再発され、その名前が
店頭からは消えることはなかった。

が、恵那遥がニューヨークに去り
その後、鹿埜類の音源は
手に入らなくなってしまった。

すべて廃盤となったのだ。


わたしは10年ぶりにテレビから流れる
鹿埜類の歌声に聞き入り、
鹿埜類を世間に知らしめたこの曲が
「あのドラマ」の主題歌になって
しまったことを残念に思った。

「あのドラマ」は近親相姦、虐待、
貧困、自殺といったドラマでは
タブー視されていた題材を多数扱い、
小・中学校などではできる限り
見ないようにと言われるほどの問題作だった。

恵那遥が演じたメグの、
脚本家のいうところの
「宿命としての受難者」としての最期は、
大新聞がコラムに取り上げるほど
衝撃的なもので、その最期の場面に
大音量で流れた「ヘンゼル1986」は
鹿埜類をも受難者にしてしまった、
のかもしれない、とわたしは思い至ったのだ。

(もしかしたら恵那遥も)


そう、恵那遥(えなはるか)と
鹿埜類(かのるい)は、当時
どちらも17才の少女だった。

(鹿埜類もドラマに出演した。

恵那遥が演じたメグが足繁く通った
ライブハウスの出演者として、
時折、登場した。

そこでピアノを前に

短く刈った髪から覗く小さな耳に
安全ピンを何本も刺した、
「零(レイ)」という名の
性別不明のシンガーとして
【ヘンゼル1986を】歌った。

或いは【センチメンタル・井戸】を歌った)


このドラマに出演したことで
ふたりの17才の少女は一躍有名になり
それぞれの道を歩んでいった。

恵那遥は次々とドラマや映画に主演し、
奔放な私生活を隠さず、
雑誌やワイドショーを賑わし、

鹿埜類はテレビ出演を断るようになり
作る曲はだんだんと難解なものへと変わり
契約していたレコード会社や事務所と
トラブルを頻繁に起こした。

そして、ふたりともある時を境に
忽然と姿を消してしまった。



恵那遥の記者会見を知った方が
管理人にコメントをくれた。

岡山に住む、教師ヘンゼルさんだ。
紹介しよう。

「鴉さま、
HPいつも拝見させていただいています。
わたしは岡山在住の42才。
高校で国語の教師をやっております。

(中略)

鴉様はご覧になったでしょうか。
先日、恵那遥が女優に復帰するとのことで
10年ぶりにテレビに映っていました。

何やら舞台をやる、ということでの
会見だったらしいのですが、その間、
鹿埜類の【ヘンゼル1986】が
流れた様子です。

(妻が見ていて教えてくれたのです。
妻はわたしが十代の頃からの
熱烈な鹿埜類ファンだということを
知っておりますので)

(中略)

同い年の恵那遥の健在を知り、改めて
何故、鹿埜類は死んでしまったのか、と
悲しくなりました。

妻は辛辣なリアリストですので、
(妻も元教師。数学を教えていました)

「鹿埜類は20代半ばで引退して
姿どころか、声さえも表に出てないんだから
その時点で死んでしまったようなものじゃない。
めそめそするほどのことじゃないわよ」

と、昨年の秋の訃報を聞き、
白髪がどっと増えるほどショックを受けた
わたしに言いましたが、

(彼女なりに慰めてくれたのです)

それでもやはりこうして
彼女の不在を感じると
今も、気持ちが落ち込みます。

(後略)」


わたしも「教師ヘンゼル」さんの
気持ちがよく分かる。

わたしには妻はいないが、時折姉に言われる。
姉もリアリストで辛辣家だ。

先日も言われた。

「あんた、いい年をして
まだ鹿埜類なんて言ってるの?
え?HP作った?
youtubeにも曲をUPしている?
ばかね、そんな暇があったら婚活しなさいよ。
あんたが年取って倒れたり、
ぼけたりしても、
あたしは面倒見ないわよ。
亭主と親で精一杯なんだから」

(どうやら姉はジブンが倒れたり、
ぼけたりする可能性は
皆無だと思っているらしい)



もうひとつ、このHPに
寄せられたコメントを紹介しておこう。

埼玉に住む、涙壺さんからのものだ。

「こんばんは。
中学、高校と、女の癖に
鹿埜類に恋していた涙壺と申します。

(鴉様、笑わないでくださいよ、
だって類は本当に美少年でしたもの!
というか、少年と少女の間にいる何か
類い希なるベツナモノ、でした・・・)

(中略)

ところで、鹿埜類の夫であった
岸田蒼汰の近況が、息子が買っている
音楽雑誌に出ていましたのでお知らせします。

岸田蒼汰氏は今度、あるロックバンドの
再結成コンサートツアー(全国7ヶ所)の
サポートメンバーとして参加するそうです。

岸田蒼汰が表に出てくるのは久しぶりで
楽しみだ、と雑誌の編集後記にありました。

そういえばここ10年くらいは
蒼汰氏はアイドルのプロデュースとか
中堅シンガーのTやKに曲を提供したりとか
裏方に徹していましたものね。

(やはり類の病状が良くなかったのかしら?
類が引退してしばらくは、先に書いたKの
コンサートツアーに参加したりしていたのに)

わたしは類が大好きだったんですけど、
蒼汰氏のギターも同じくらい
好きだったので、
もしチケットが取れたら
行ってみようと思います。

それにしても、蒼汰氏、
50才を過ぎても
ハゲもせず、太りもせず、
あの頃の雰囲気を保っていて、すごい!

きっと類も変わらないまま、
逝ったんだろうと想像して
面影を追って、こころを慰めています。

(後略)」


涙壺さん、
わたしは40代後半ですが
もうすでに、ハゲて、太っています。(笑)

しかし、晩年(といっても45才でしたが)の
鹿埜類が外見的にどのように変わっていても

(できれば太っていてほしかったと思います。
彼女は食べられずに苦しんだと聞いているので)

わたしはやはり、彼女は
彼女のままであったと思うのです。

魂はそのまま、逝ったのだ、と。

そしてそれが、時折悲しみに変わるのです。



【追記】

この頃は、HPに来て
コメントを残してくれる方が増えてきました。

また、恵那遥の復帰が報道されてからは
アクセス数もUPしています。

何らかでも鹿埜類を知る方、
思い出す方が増え、その結果、
鹿埜類の音源が
復活することを願っています。


(HP【鹿埜類幻燈博覧館】鴉・随想より)

















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by houki666 | 2014-02-06 12:22 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集4 【実験室】

実験室 (2ndアルバム「実験室」より

どうですか、データは
前より良くなりましたか?

山陰の漁村にある廃校の理科室で
ぼくらの実験が始まっている。
きみはぼくと一緒に
ここに逃げてきた。
名前を偽って、小さな家を借り
家の前の花壇には
葱とチューリップの球根を植えた。

きみとぼくは一日
実験を続ける。
夜から雨になった。
良いデータは出ない。


どうでしょう、データは
結局、変わらないままですか?

実験室には様々な機器が並べられ
時折、専門家が訪れてため息をつく。
ぼくはきみと一緒に
ここに潜行している。
名前を偽って、小さな家を借り
時々、きみは魚を焼き
食べたがらないぼくに身をほぐしてくれた。

きみとぼくは一日
実験を続ける。
朝焼けを見ては寝る。
良いデータは出ない。

甘美なる実験室。
ぼくはずっと実験を続けていたい。
誰にも、このデータを見せたくない。

良いデータは、出さない。



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HP「鹿埜類幻燈博覧館」管理人鴉氏による、注釈

今回は同じアルバム「実験室」から、
ソリッドなロックナンバー「シャアプ」を
紹介するつもりだったが、変更して
アルバムタイトル曲としては地味ともいえる
「実験室」を取り上げることにした。

先日、「幻燈会」に出てくる「きみ」なる人物が
鹿埜類が、デビュー当時、
雑誌のインタビューで話した「お兄さん」であり、

その人物こそが、鹿埜類の夫となった
「岸田蒼汰」ではないだろうかという、
不確かな推測をここに書いたところ、

「実は自分もそう感じていた」という
コメントをいくつかいただいた。


そのひとつ、青森在住の
【ストレンジ・男】さんからのものを紹介しよう。

「鴉さま、いつも新鮮で興味深い注釈を、
何十年聴いても飽き足らない鹿埜類の歌詞と共に
書いてくださってありがとうございます。

当方、中学に入ったばかりの野球部男子の身で
偶然にも鹿埜類の世界に触れ、その後、
何十年を経過しても、鹿埜類から逃れられない
この冬とうとう不惑を迎えた独身・独居男です。


先日、鴉さまが、未だ鹿埜類になっていなかった
瀬野唯に、カップ焼きそばを食べさせた(?)
七つ年上の親戚の「お兄さん」は、
後に、鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰ではないかと
推測されていて、思わず、膝を打ちました。

わたしもずっとそう感じていたのです。

なぜ感じていたのか、

1,鹿埜類と岸田蒼汰は顔や体つきが似ている

2,岸田蒼汰は鹿埜類のことをよく知っていた。

(幼い頃のことも知っているようで、リサイタルで
時々、きみは乱暴なコドモだったよね、とか暴露していた)

3,アルバムのための曲作りをふたりで行っていた。

(人の好き嫌いが激しく、神経質で、
かつ辛辣すぎて、敵を作りやすい性質の鹿埜類が、
ずっとひとりのギタリストと曲を作っている
と、いうのが中学生にも不思議だった。
まあ、その頃からわたしは
岸田蒼汰に嫉妬していたといえるのでしょう。
あいつなんてオジサンだろ、といつも思っていました)


3,に関してはセカンドアルバム「実験室」のなかの
アルバムタイトル曲「実験室」が、すべてを
証明しているような気がします。

ファーストアルバム「幻燈会」が思ったより売れ、

(ドラマの主題歌に「ヘンゼル1986」が
なり、ヒットしたことが大きな原因でした)

気を良くした(?)レコード会社が
「ヘンゼル1986」のシングルカットから
半年のスパンで鹿埜類の次のアルバムを発売しようと、

鹿埜類をある地方の一軒家に缶詰にした、と
女性週刊誌で読んだことがありました。


少しスキャンダラスな記事の内容でした。
見出しは確か、こうだったと思います。

【女子高生シンガー、鹿埜類、
美形ギタリストとふたりだけの合宿(?!)】

合宿が行われたのはある山陰地方の海辺の町で
学生である鹿埜類が冬の休みに入るのを待って、
昔フランス人神父が住んでいたという
小さな洋館を借り、約10日間、
行われたとありました。

その合宿に同行したのはバンドメンバーである
ギタリストの岸田蒼汰だけで、実質はふたりだけの
「合宿」だった、と遠目からの写真付きで

(その写真ではキーボードを挟んで
鹿埜類と岸田蒼汰は向かい合っていました。
鹿埜類は遠目でも分かるくらい痩せていて
その細い骨張った手に
大きな黄色のマグカップを包んで、
ゆっくりと何かを飲んでいました)

何となく、嫌な感じの文章が綴ってありました。

(今思うと、「淫行疑惑」といったことを
それは示唆していたのでしょう。
その当時、鹿埜類は18才、岸田蒼汰は25才でした)

その疑惑に関して、
レコード会社サイドのコメントが載っていました。

「鹿埜類はギタリストとふたりきりではなく、
洋館には他のスタッフも入れ替わり立ち替わり
参加して、アルバム作りを進めている」とのことでした。


「実験室」はこの合宿の時のことを
歌ったものではないでしょうか。

ファンの間では、この歌は
性的なものを思わせる、ということで

(実験という言葉がそう思わせたのでしょうか
作られたミュージックビデオでの
頬を泥で汚された鹿埜類が
着ている黒いシャツの胸もとのリボンを
うつろな表情で解いていく様子が
そんな妄想を呼んだのでしょうか?

※あのミュージックビデオはあまり良くありませんでした。
鹿埜類を何かの記号にしようとしているようで、
わたしは見ていて、胸が苦しくなったほどです。
しかしあの頃のわたしはどれだけ
純情な中学生(坊主頭でした)だったのでしょう)

熱烈に愛するひとがいる一方で
嫌がるひとも多くいたように思います。


しかし、鴉様が書かれたように

鹿埜類が唯一こころを許せる人物が
「お兄さん」であったかもしれない
岸田蒼汰だったとしたら、

この「実験室」はほぼ実話で、

レコード会社からの
執拗な曲作りの催促に疲れてしまった
鹿埜類が「逃げてきた」先で

こころのバランスを取りながら

「実験」と称して、
岸田蒼汰と様々な曲を作っていた、
その日々の「ドキュメンタリー」
なのかもしれない、と思い至りました。


特に2番の

「時々きみは魚を焼き
食べたがらないぼくに身をほぐしてくれた」

というくだりは、ふたりの関係を
如実に語っているように思います。


鹿埜類が4枚目のアルバム「十字塔」を
何年も苦しんで作成した時、

(結局それが鹿埜類の
最後のアルバムとなってしまいました)

ラジオのインタビューに

(ー思ったより長くアルバム作りが
かかってしまった理由は?という問いに)

「実験するように曲を作るので
いつ完成するか、が見えない。
というより、未完成の曲を
ずっとジブンのなかでいじくっていたい、
実験していたい、それこそが、
ジブンのやりたいことかも、と
思うようになってしまって、それが原因かも」

と言葉少なに答えていたのを覚えています。


鹿埜類にとって、
後に、夫となった岸田蒼汰と
山陰の小さな町で過ごした10日間は
その後の人生を決める
大きな出来事だったのかも知れない、と

(そこにはきっと安らぎがあったのでしょう)

鴉さまの先日の注釈を読み、
今更ながら思ったのです。



鴉さまの推測はわたしに鹿埜類に対する
新たな視点を与えてくれました。

昨年の秋に、インターネットのニュースで
鹿埜類(本名瀬野唯45才)が死んだ、という報を見て、
立ち直れないほどの衝撃を受けたわたしにとって

鴉さまが唐突に(わたしには唐突と思えました)
始めてくださったこのホームページは
わたしにとって、ひとすじの光明となりました。

わたしが生涯忘れられないほどに
心を揺すぶられた鹿埜類という人物は

いったい何であったのか、
どんな人物であったのか、

これからも及ばずながらも
一緒に探求させていただきたいと思います。

思いもかげず、長文、まして
支離滅裂な文章になってしまったこと、
お詫びいたします。

2014年 1月31日 深夜、雪の青森より」


ストレンジ・男さんの考察はとても鋭く
それでいて鹿埜類への優しさに満ちていて
わたしはこれを読んで、しばらく
センチメンタルな底なしの井戸に落ちてしまった。

(センチメンタル・井戸。この曲も名曲
いつか紹介しましょう)


鹿埜類、あなたには
ただただ、生きていてほしかった。

歌わずとも、生きていてほしかった。

新月の細い細い弧を観る時、
あなたをいつも思います。


【HP「鹿埜類幻燈博覧館」鴉随想より】


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by houki666 | 2014-02-03 11:32 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集3 【幻燈会】

幻燈会(1stアルバム「幻燈会」より)

きみは長い髪で黒いセーター
ぼくはちぢれ髪で白いセーター
畳のうえであお向けで
きみは太宰を、ぼくは三島を読む
寂しい昼が通り過ぎてゆく

きみはとうに学校をやめてしまった
ぼくはさぼってはきみの部屋で
畳のうえの猫を撫でる
きみは頭を、ぼくはお腹としっぽ
寂しい昼が通り過ぎてゆく

【語り】
きみはヒヤシンスの球根を眺めながら
難しい数式を解いていた。
猫の名前はフランチェスコで
きみは父親を何度か殴っていた。

きみは長い髪で黒いセーター
ぼくはちぢれ髪で白いセーター
畳のうえで正座をして
きみは聖書を、ぼくは森茉莉を読む
嗚呼、寂しい昼は夜となっていく



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HP【鹿埜類幻燈博覧館】管理人鴉氏による、注釈

鹿埜類のファーストアルバム「幻燈会」の
1曲目を飾ったアルバムタイトルにもなった曲。

この歌を初めて聴いた時、
1986年というバブル期の騒がしい日本に
生きていたひとりの女子高校生、
瀬野唯(鹿埜類の本名)が
なぜ、こんな歌詞を書いたのか
なぜ、書かずにいられなかったのか、不思議だった。

なぜなら、ここに出てくる
長い髪の黒いセーターの人物と
ちぢれ髪の白いセーターの人物は
学校をさぼって(一方は学校をやめ)
畳の上で仰向けになって本を読み、
ただ、猫を撫でているのだ。

そこには騒がしい世間の音は聞こえてこない。
そこにあるのはひたすらに遮じた世界だ。

不思議に浮かれた80年代を感じさせない。


鹿埜類を論じる時、
鹿埜類が70年代のフォークに
影響を受け、それを模したのではないか
という説が必ず出てくる。

わたしも少なからずそう思う。

特に影響を受けただろうと思われるのが
森田童子だ。

鹿埜類自身も、影響を受けたアーティストとして
森田の名前を挙げている。

(他には金延幸子ケメ(佐藤公彦)
T.REX、デビッド・ボオイなどを挙げている)


デビュー当時の鹿埜類が
音楽雑誌のインタビューにこう答えている。

(こんな風に自分のことを
鹿埜類が話したのは珍しいことだ。
多分デビュー当時で、
何を話したらいいのか、
何を話さないほうがいいのか、
分からなかったのだろう)

「ぼくはひとりっ子なんだけど、
七つ年上の親戚のお兄さんにすごく
可愛がってもらったんだよ。
そのお兄さんは変わり者で、学校なんか
水曜日と金曜日しか行かなかった。
水曜日と金曜日は美術の授業があったんだ。
他の日はだいたい部屋にいて、
レコードをかけながら、本を読んでいた。
ぼくはピアノやバレエのレッスンを
母親に内緒で休むようになってからは
よくそこに避難した。
そこで色々聴いたんだ。
お兄さんは男だったけど、ちょっと
なよなよした音楽が好きでね、
キャンディーズとか太田裕美とか聴いたり、
佐藤公彦の【学生通り】聴いていつも泣いてね。

ー佐藤公彦って、ケメって呼ばれていたひと?

そう。ぼくも色々歌えるよ。
【今は昼下がり】とか。

ーへえ、鹿埜類の意外なルーツ。
森田童子もお兄さんが好きだった?

うん、森田童子はそれこそレコードが
すりきれるほど聴いていた。
森田童子を聴きながら、
お兄さんが作ってくれた焼きそば
と、いってもカップ焼きそばだよ、
それを食べていると、
なんかどうでもいいような気持ちになって
4才から通っていたバレエ教室を
ある日、勝手に辞めちゃったの。

ーカップ焼きそば食べて辞めちゃったの?

うん、ぼく、ずっとダイエットしていたからね。
バレリーナは細くなくっちゃならないから。
カップ焼きそばなんて絶対、
食べちゃいけなかったんだよ。
それに本当はクラッシック以外の音楽も
聴いちゃいけなかったんだよ。

ーもしかして厳しい家だったの?

わからない。普通の家だった気もするし
違ったような気もする。・・・・・。

ーそのお兄さんは今は何を?

うーん、よくわからない。
まだあの部屋にいて、何やら書いてる。
多分、男色小説を書いているんだと思う。
森茉莉の「枯葉の寝床」みたいなヤツ。

ーえっ、男なのに?

男って感じじゃないの、お兄さんは。
ぼくとよく似ているんだよ。
母親同士が姉妹だから。

ーへえ、鹿埜類に似ているんだ

そう、よく兄弟に間違えられたよ。
兄弟ってところが笑えるけど。

ー会ってみたいな、個人的に。

多分、会わないよ
お兄さんは美しいものにしか
興味を示さないから(笑)」


このインタビューを読むと、
「幻燈会」の一方の人物は
このお兄さんで、一方がまだ
鹿埜類でなかった瀬野唯だと思われる。

そして瀬野唯は、
この部屋で過ごしたために

(学校にほとんど行かないお兄さんと
畳の上で、なよなよした音楽を聴き、
カップ焼きそばを食べた)

幼児期から習っていたバレエを辞め
髪を短く刈り、曲を作り始め、
鹿埜類となったのだ。

そう考えると、鹿埜類が
デビューアルバムの1曲目に
この曲を持ってきたのは必然だったろう。

そう、思ってしまう。


鹿埜類が育った家については
ファンが色々と推測している。

通っていた学校が、有名な
中・高一貫のミッションスクールらしきこと、

3才からピアノを、
4才からバレエを習っていたということ、

レコード会社のオーディションなどを
受けずに、突然デビューをしたこと、

から、

父親が著名な音楽プロデューサーの○○ではないか、
または母親の家系が有名な○○芸術一家の出ではないか、
また「お兄さん」は異端作家と呼ばれる○○ではないか、

などだ。

しかしどれも確証はない。

(今のネット時代であれば、
鹿埜類の出自はすぐに割れただろうが、
あの頃はまだ、情報は身近な者でしか
得られない、ある意味安全な時代だった)


しかし、わたしはもしかしたら、
瀬野唯を鹿埜類に変化させた
「お兄さん」は、鹿埜類の夫となった
ギタリストの岸田蒼汰かもしれない、

とこころ密かに思っている。


岸田蒼汰はある時期作家を
目指していたと何かの折に答えているし、

鹿埜類とはちょうど七つ年が離れている。

確かに、母親が姉妹通しの従兄弟の婚姻など
常識的にはありえないことだが、

鹿埜類が幼い頃から
こころをゆるしていた唯一の人物が
岸田蒼汰であったとしたら、

後年、こころを病んだといわれる
鹿埜類を護るために、誰かが
(或いは岸田蒼汰自身が)
何らかの方法を用いて、婚姻、
もしくは、婚姻状態にしたのかもしれない、

と思う。

実際、岸田蒼汰と鹿埜類は
おもざしがよく似ていた。

細い顎と長い手足が特に似ていた。


次回は、2ndアルバム「実験室」より
「シャアプ」を紹介しようと思う。


(HP「鹿埜類幻燈博覧館」鴉随想より)























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by houki666 | 2014-02-02 12:14 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集2 【ストレンジ・猫】

 【ストレンジ・猫】(1stアルバム「幻燈会」より)

   奇妙な猫に会ったんだ
  いつものバス停で
  バスに乗って街へ行くのだと言う
  奇妙な猫が言うことには
  ぼくらは透明な膜に守られ
  日々、退化しているのだという
  猫はそう言ってあくびした


  奇妙な猫に会ったんだ
  毛並みは上等だ
  実は金持ちの息子なんだと言う
  奇妙な猫が言うことには
  ぼくらはバリケードを突破して
  日々の向こうへ行かねばならない
  死を思えば、なんでもできるのだ

  アジテーション!レボリューション!
  アジテーション!レボリューション!

  奇妙な猫はいつまでも
  バスに乗らなかった。
  最後のバスが出ても、そこを立たなかった。
  奇妙な猫は、ポケットから
  つぶれたクリームパンを出して
  日々の糧を得るのは大変だ、
  餓死は辛いのだ、とぼくにそれを半分くれた

   アジテーション!レボリューション!
  アジテーション!レボリューション!

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 HP「鹿埜類幻燈博覧館」管理人鴉氏による、注釈。


  鹿埜類のファーストアルバム「幻燈会」において、
  一番センセーショナルだったのは、
  アルバムの2曲目を飾った
  「ヘンゼル1986」だった。
  満を持して3枚目のシングルとしてリリースされ、
  ドラマの主題歌にもなった。
  (今、そのドラマは主演女優がドラッグ所持で
  逮捕されたことで再放送は控えられている)
  確かに「ヘンゼル1986」は
  その過激な歌詞においても
  鹿埜類の黒づくめの衣装と
  破壊的なピアノ演奏においても衝撃的だった。
  が、それは多分に演出的で
  人によっては鼻白むこともあっただろう。
  実は、このわたしもそのひとりだった。



  (テレビのランキング番組で見た鹿埜類は、
  テレビ局が天井から降らせた、ちぎったパンに
  見立てた紙きれをピアノの鍵盤から拾いながら、
  一心に、「ああ、今夜ぼくは棄てられた」と歌っていた。
  わたしはそこに過剰な演出を感じ、
  鹿埜類という17才の少女を僅かに軽蔑した。
  あの時の鹿埜類はまるきり無防備で、
  奇妙なアイドルと作られようとしていた)


 
 
 しかし、その後わたしの鹿埜類への評価は一変する。
  この「ストレンジ・猫」を聞いたからだ。 
  その頃わたしは鹿埜類よりも2才年上の大学生で、
  あの頃でいうところの「レンタルレコード
  &CDショップ」でアルバイトをしていた。
  キングクリムゾンなどの洋楽ファンであったわたしは
  鹿埜類のアルバムは客に貸すことはあっても
  聞くことは無かった。
  が、ある日、客が
  「このCD、7曲目、飛びますよ」と言い、
  それが「ストレンジ・猫」だったのだ。

  

  
エッジの聞いたギターで始まるこの曲は、
  このアルバム内で鹿埜類が唯一
  ピアノを弾かずに歌っている。
  ボーイソプラノを思わせる声の鹿埜類が、
  間奏のギターの、爆音に対抗するように
  アジテーション!レボリューション!を叫び、
  その後、発情期の猫のごとく短く鳴く
 (鹿埜類は猫の鳴き声がすこぶる上手だった)
  声を聞いたとき、わたしは
  rockアーティストとしての
  彼女を「発見」したのだった。

 
 
  
【ストレンジ・猫】は鹿埜類も気に入っていたらしく、
  よくリサイタルで歌った。
  後に【鹿埜類】の保護者兼夫となった、
  ギタリスト岸田蒼汰を従え、何度もシャウトした。
  (実に気持ちよさそうだった)
  鹿埜類自身は、ベストアルバム「鹿埜類」の
  ライナーノーツでこの曲についてこう短く書いている。


 
 
「歌詞を書く愉しさを知ったのは、この曲で、でした。
  この奇妙な猫は今もぼくのこころに住み着き、
  時折、ポケットにクリームパンを入れて
  バス停でぼくを待っているのです。
  まだ革命を信じているのです」


 
  
餓死は辛いのだ、と歌った鹿埜類が
  実は、深刻な拒食症を患っていた、と知ったのは、
  鹿埜類が45才でその命を閉じてしまった後であった。


 
  
26才で、突如と音楽活動から遠ざかり、
  わたしたちの前から姿を消した鹿埜類が、
  夫となった岸田蒼汰の献身的な保護の元
  それから20年生き伸びられたことを
  今なら、感謝すべきだろう。

  
  
ちなみに、無類の猫好きだった鹿埜類が
  命を閉じる直前まで可愛がっていた猫の名は
  【クリーム】だったという。 


 HP【鹿埜類幻燈博覧館 鴉随想より】
       




  
   
  
 

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by houki666 | 2014-01-25 22:40 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)

鹿埜類詩集1(苔の恋愛)

  苔の恋愛(鹿埜類3rdアルバム【睡眠窟】より)

  ああ、けふも楓の緑が
  ぼくの上に美しい陰を作っている
  五月は明るい、寺はけふも静かだ
  玉砂利を踏んでけふもあのひとが来る
  ぼくは彼女を愛している

  ほら、日傘の柄が鹿の子模様で素敵だ
  袴はえび茶色、ブーツは黒い
  彼女は綺麗だ、まるで五月の化身だ
  一年前に死んだ恋人を今も思っている
  ぼくは彼女を愛している。

 「否、ぼくがひとに恋をしていることを
  きみはきっと軽蔑しているんだろう」

  麗しき五月の苔、収集家もやってくる
  ぼくらは摘まれて、フラスコのなかで
  ぼくらは摘まれて、フラスコのなかで

  苔の恋愛、苔の恋愛。

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HP「鹿埜類幻燈博覧館」管理人、鴉氏による注釈

  この【苔の恋愛】は鹿埜類の
 偏愛していた作家、尾崎翠の作品から
 インスパイアされてできた曲の
 ひとつだと思われる。


 (これはいうまでもなく尾崎翠の代表作である
 【第七官界彷徨】であろう。
  他に、尾崎翠にインスパイアされた曲
  として、シャアプ」があげられる。


  また、この曲【シャアプ】を紹介する際に
  くわしく記すが、尾崎翠が
  作品中に頻繁に取り上げた、
  19世紀末のイギリスの作家・批評家である
  ウィリアム・シャアプ
  フィオナ・マクロオドという女性名で、
  ケルトを題材にした詩や創作を発表した。
  またシャアプは実生活でも
  女性名を使い生活をした、として
  知られている。


  ここに17才の現役の女子高生であった
  鹿埜類が(本名瀬野唯)でありながら、
  性別を隠すかのように、
  70年代少女漫画家が描いた少年たちが集う
  キジナウム風の少年のいでたちで、
  ひたすら【ぼく】として歌うことに
  こだわった秘密が
  隠されているように思われる。

  彼女は、瀬野唯でありながら、
  鹿埜類としてわたしたちの前に現れたのだ。

 (それは作家尾崎翠との出会いと
  無関係ではあるまい)

  驚嘆するほどのピアノの技術と
  少年のような
 (少女ならば拒食症のような)カラダと
  少女としか言いようのない
  甘い顔だちを持って、突如現れたのだ。

  先も言ったが、鹿埜類の
  【シャアプ】はまたの機会に紹介する。
  この解説は長くなりそうだが・・・。)
 

  【苔の恋愛】に話を戻そう。

  この曲は、美しいオーケストラによる
  ストリングスが全般に流れているせいか、
  コンサート(鹿埜類はリサイタルと呼んだ)  
  ではあまり歌われなかった。

  が、歌われると、
  途中の台詞(否、ぼくがひとに
  恋していることをきみは~のくだり)は
  軽い内容のものに変えられた。

  「否、ぼくがマカロニグラタンに
   恋していることをきみはきっと
   軽蔑しているんだろう?」

  などと、笑いを取った。


  また苔の収集家は、
 「オーギュスト」という名前だと言い、
 ファンから、
 「じゃあ、苔は
 ジルベールですか?それともセルジュ?」
 と問われ、
 「ぼくはそんな背徳漫画は
 読んでいないからわからない」
 と笑いながら答えた。

 このことにより、ファンの間
 (少女ファンが大騒ぎした)では、
 鹿埜類は「カゼキ」
 (「風と木の詩」竹宮恵子作)のファンだ、
 というのが定説となり、鹿埜類の男装姿は
 少女たちの妄想をかきたてた。

 鹿埜類はファンクラブ会報(苔類)で、
 しらっと、「どちらかというと自分は
 萩尾望都が好きだ」と書いた。

 いずれにせよ、この【苔の恋愛】は
 ファンにとっては数々の理由により、
 忘れがたい曲である。

 HP【鹿埜類幻燈博覧館 鴉随想より】



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by houki666 | 2014-01-22 15:16 | 鹿埜類詩集(吟遊詩人)